<三上くんからの追加報告>
                 
(H17/11/3掲載、12/10修正)

2005/10/10(月) 21:39

今回の歩く会を振り返り、面白い事柄をいくつかお伝えいたします。

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・8日の朝、国道118号を大子に向かって急いでいると、車の前後を大型バスに挟まれた。1クラスに1台ずつ用意されたバスが何台も連なって、大子西中に向かっていた。

・私たちのころは1学年9クラスだったが、現在は1学年8クラスで全24クラス。階段の向こうの日当たりの悪い19組、29組、39組は、今はない。

・24台(水戸以外からのも含めるともっと多いかも)のバスは、水戸ナンバーのみならず、土浦、宇都宮ナンバーもあり、行楽シーズンのおり、周辺地域からかき集められた模様。

・実行委員は70人以上。1クラス当たり3人くらい。蛍光で光るラインの入ったベストを着用。学年ごとの前後に配置され、トランシーバーや赤く光る棒を持って忙しいそうだったが、自分のリュックは、車で運んでもらっていた。

・女性とは全体の4割とか。私たちのころは1割ちょっとだったから、かなり多い。しかし、歩行中はもちろん、休憩時間、食事タイムも、なぜか男同士、女同士で丸くなっていた。

・応援団は4人来ていた。大子西中の出発式と、夕食タイムの大子南中からの出発式でエール。第131代の応援団長は、なんと可愛らしくもたくましい女性でした。

・背中に背負っているリュックが大きいのに驚いた。こんなに荷物を持ってきてどうするの? 一体、何が入っているのだろう、という感じ。後半、肩を痛そうに歩いている生徒がいた。

・それに対し、のぼりはかなり簡素化されていた。プラスチックのパイプ製の様子。女生徒が片手で持てる程度。昔の竹竿ののぼりが懐かしい。

・服装は上下白のジャージ。私たちのころは少しクリーム色がかっていたと思うが、今はもう少し白い。胸に各人の名前が縫ってある。赤、青、緑と、どうやら学年で糸の色が違う模様。

・ジャージの下はTシャツ。クラスごとに色が異なり、また、クラスごとにデザインを工夫している。これが何とも洒落ていて、クラスの団結や、歩く会に対する意気込み、楽しさに満ちあふれていた。

・隊列の前後にはトイレ車が3台。1台のトイレ車には簡易型のトイレが4つずつ載せられていた。運転は、どうやら一高の先生のようでした。

・昼食は道端で、おにぎりなどのお弁当。大子南中での夕食は、体育館で、一人一つずつ自分で用意したカップ麺にお湯を注ぐ。それに加え、学校に用意されていたバナナとお饅頭
管理人註(H17/12/10掲載
   実は『お饅頭』ではなく『大子おやき』と言うようです。
   OGの大子の(有)富士屋の藤田晶子様から堀之内隊長に
   情報提供いただきました。
   詳しくは堀之内隊長の報告(H17/12/10掲載)をご覧ください。)

・大子南中では保健室に、大宮西小では体育館のステージの上に、医療班が生徒の手当に当たっていた。OBのお医者さんにお声が掛かるらしい。

・テーピングで足の負担を和らげている生徒が多いようだった。

・夜の歩行時には、ズボンの裾の下の方に、蛍光シールを貼って、車からの安全を確保していた。

・カメラを向けると、多くの生徒たちは疲れているのにも関わらず、ニコッと笑って「ピース!」。

・夜中になっても意外と楽しそうに歩いている生徒が多かった。居眠りしながら歩いているような生徒は見掛けなかった。

・多くの生徒たちの靴下は、くるぶしの下までのもの。女性用みたいだが、これが今の流行りとか。

・先生は全体的に目立たなかった。生徒との会話も、かなり遠慮が見られた。

・自由歩行では、途中、3つの関門があり、飲み物とちょっとした食べ物が用意されていた。

・雨の中の自由歩行、前の方の300人くらいはレインコートなしで、Tシャツ1枚でびっしょり濡れながら頑張って走っていた。

・後ろの方の生徒は、レインコートを着て、途中までは頑張って走って、関門に到着すると休憩。

・自由歩行、第一関門、第二関門(第三関門では未確認)までは、赤いパンツの男がダントツ1位。しかしこの生徒は最終的には、最後に大きく崩れ、100位くらいだったらしい。

・大休止や関門では、たくさんの父兄が手伝いに来ていた。そしてゴールの本城橋にも、たくさんの父兄が我が子の迎えに来ていた。昔を思うと信じられない。

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