伊沢 慶祐先生(38組副担任、英語)


皆さんが3年生のとき、私は1学年の担当で、3学年へは出向の様な形で授業に出ていました。だからというわけでもないのですが、皆さんに関する当時の書類は一切なくなってしまい、自分がどのクラスの授業に出ていたかさえ定かではありません。残った唯一の手がかりである名簿から判断して、どうも31,33,38に出ていたらしいとしか言えません。71歳の記憶力は非常に心許なく、皆さんには誠に申し訳ない。しかし、活発で元気でしかも勉強家だった学年全体の当時の雰囲気は印象として甦ってきます。

あの昭和50年代初期は、座り込みやデモが行われた44年の学園紛争の余波が収まっていき、生徒の生活にも落ち着きが出てくるいわば紛争終息期とでも言える時期にあったと思います。皆さんのたった1年上の学年の方がもっと野性的で個性的な生徒が多く、1年下の皆さんは一段と紳士的で協調的であるという印象を受けました。しかし、さらに時代が下るにしたがって一高生は他律的になっていき、最近の生徒たちと比べると、当時の皆さんの方がはるかに個性的で野性的であったと言えます。

私は、平成3年まで一高に勤め、転勤して4年後に退職してからあちこちの常勤講師をしました。さらに平成10年から4年間再度水戸一高で常勤講師を勤めさせていただきました。だから今と昔の一高生の違いがよく分かります。今の生徒は(年寄りの懐古趣味と言われても仕方がない)、自分の意志で物事を決めることができない、民主主義の何たるかが分かっていない、体制に流されやすい、しかしその反面穏やかで人当たりが良い。いろいろ耳にするところによると、どうも日本全体が同じような状況にあるらしい。困ったことです。しかし憂えてばかりもいられない。最近半年ほど「あこがれの」水戸二高に勤める機会を得ました。女達は元気だ。将来の日本は女に頼るしかないのかもしれません。

去年の4月から職を離れて完全な年金生活に入りました。ボランティアでもやりたいと思いますが適当なものが見つからず、3年前に始めてだんだん面白くなってきたゴルフ(まだ100が切れない)と、近隣の山歩き(4時間〜5時間、週2回が目標)が主な仕事(?)です。そして、1年半前にヒマラヤトレッキングに行って間近にそびえるエベレストを見てきたのが唯一の自慢です。


先生方の近況のご紹介 〜永島先生〜