高橋 徳正先生(39組担任、化学)
高橋先生から昨年(平成17年)掲載された茨城新聞の記事を送っていただきました。
茨城新聞社のご厚意により、記事の掲載の許可をいただきましたので、その記事により先生の近況をご紹介します。

茨城新聞 2005年(平成17年)12月30日(金)掲載記事>
(一部漢数字を算用数字に変更しています)

腰痛耐え12年半『奥の細道』踏破

  元県立高校長の高橋さん

   多くの人、美しい風景と出会う


【 江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644-94)が記した紀行文学の名作「奥の細道」。元県立緑岡高校長で水戸葵陵高講師の高橋徳正さん(69)が今秋、十二年半かけてその行程を踏破した。持病の悪化などで中段を余儀なくされながら歩いた距離は約千二百キロ。「歩くことは苦しいが、合間に多くの人や美しい風景と出会える」と素晴らしさを語った。】


「今年の目標は歩くこと。校内集会で『奥の細道』を歩く経過を報告する」。県立水戸南高で校長を務めていた1993年1月。高橋さんは始業式で生徒たちに約束した。「集会で話を聞かない生徒も校長自身の体験を話すと真剣に聞いてくれる。リアルな体験を提供したかった」と語る。

大学時代から登山を続けていたが、腰痛のために走ることも医師から止められた矢先。芭蕉没後三百年を翌年に控えていたこともあり、目標を設定して歩こうと思い立った。

同年5月に東京・深川を出発。休日を利用して一日約三十キロを限度に行程を歩き継いだ。

出発から間もなく、埼玉県杉戸町の寺で休んでいると、そこに住む老女が茶を振る舞ってくれた。厚いもてなしに恐縮すると「普段見落としていたことが良く見えるし、思いがけない出会いに恵まれる」と老女。「歩くことの意義をしっかりと自覚させられた。まさに思いがけない出会い」と高橋さんは語る。

旅の記録は手製の小冊子にまとめられた。タイトルは「『おくのほそ道』のおばあさん」。戦中戦後の混乱期に家族を養うために働き、過労で体調を崩して亡くなった母と、各地で出会った老女たちの姿が重なった。

困難もあった。踏破を目前にした2002年には持病の腰痛が悪化して、勤務先から救急車で運ばれてしまう。激しい痛みに断念も覚悟したが、少しずつ回復。04年秋から挑戦を再開し、今年9月24日、“結びの地”岐阜県大垣市に到着した。

校長職にあったときは多忙でなかなか旅に出られず、生徒に出会いの素晴らしさを語る機会が少なかった。「継続する大切さを知ってほしい」と若者たちへの思いを情熱的に話した。