後藤 克己先生(物理)

物理を担当していた後藤克己です。

昭和50年から平成2年まで水戸一高にお世話になりました。
平成2年から茨城県教育庁へ異動し、教員から離れる事になりました。
その後、平成4年に教育研修センターへ、平成10年に再び教育庁へと異動して平成12年まで都合10年間教育行政畑を歩きました。平成12年、鉾田農高に教頭として赴任、2年間農業高校という水戸一高とは大きく異なる学校を経験しました。
平成14年に、水戸一高へ教頭として着任、3年間お世話になりました。
平成17年、笠間高校へ校長として着任し現在に至っています。

昭和52年卒の皆さんとの思い出は、なんといっても物理の試験問題における真剣勝負でした。その辺に普通にある問題を出題した場合には、試験終了後直ちに「簡単過ぎます。私たちをなめてませんか」とかいって物理職員室(「ブッショク」と呼ばれてました)へ飛び込んでくる生徒がいたりしたため、私もできるだけオリジナルに問題を作成し、これならどうだとばかりに出題したものでした。その結果、私(出題者)と生徒(解答者)との間に、問題をとおして緊張した対話があった事を鮮明に思い出します。(ただし、結果として平均点は低かったです。) 私の恩師でもある片岡謙寿先生から「本校生徒は怖い。それを感じなければ教員として失格だ」と薫陶を受けていたこともあり、授業を通して、生徒の鋭い質問を受けることで自分自身改めて専門教科を練り直し、物理を自分のことばで話せるようになったのも当時の皆さんとの出会いがあったからこそといえます。

それにつけても当時の皆さんの上方志向性は強いものでした。様々な分野で能力を発揮する生徒達がいて、かつ精神的にも相当な成長を示し、大人だったなと思います。当時、大学入学時点で水戸一高卒は一目置かれていたと聞いたりもしましたが、さもありなんと思っていました。生徒から生徒へ伝えられていった様々な影響、これが水戸一高の学校文化の実質といえるものでしょう。教頭として12年後に見た水戸一高は、校舎が一新されバンカラな面は払拭されたようでしたが、生徒諸君と話をすると間違いなくあの水戸一高生である面を感じ、安心しました。

人も時代も変わりますが、常に一目置かれる水戸一高、水戸一高生であってほしいと願っています。そのためには、卒業生の力も大いに活かすべきであると常々発言もしてきました。今回の同窓会を契機に、母校へ、また現役生徒へ目を向けて頂ければ幸いです。

皆さんの活躍を祈念しております。