永島 和彦先生(36組担任、国語)


諸君が卒業されてから、又
3年間担任し卒業させました。その後、又1年生を担任し卒業させようとしましたが、人事の都合上異動しました。30代は進学校に勤務し、40代はどちらかと言えば教育困難校に勤務し、生徒指導面に尽力しました。この年の時、雨村先生(平勢忠夫教諭)に師事して、書道は師範を取りました。

50代では半ば頃教頭となり、東海高校では臨界事故に遭い、マスコミの対応に大変でした。茨城新聞、朝日新聞、読売新聞等の記者が来校し、対応に大変でした。テレビではNHK、朝日、TBSと、取材に来ました。特にテレビ朝日は取材するため3日間学校に居座り、お蔭でニュースステーションに私の顔が映ったと思います。その後TBSも取材に来てやはりニュースに放映されました。もうこりごりでした。

退職後1年間は海外旅行、ゴルフを楽しみました。しかし、毎日が日曜日の生活はどうしても肌に合わず、2年目から茨城高校、茨城中学の非常勤講師をやり、現在に至っています。

子供達は皆独立し、諸君が高3の時に生まれた二男も水戸一高を卒業し、野村證券の本店に勤務しています。水戸一高の思い出は一言で「素晴らしい」の一語に尽きます。あれほど生徒が揃っていて熱心な先生ばかりの学校は他にありません。

東京知道会は現職の時、生徒引率でお邪魔しました。従兄、義兄がよく出席されますので、楽しみにしております。

先生方の近況のご紹介 〜永島先生〜