田口 邦生先生(音楽)


昭和52年卒業というと、504月に赴任し水戸一高生との初対面を果たしたときの2年生にあたり、小生にとって水戸一高24年間の在職の中でも、最も鮮烈な印象が残っている学年である。それは、音楽の授業においても、なかんずく吹奏楽部の部活動においては尚更のことと言える。

昭和49年に茨城交響楽団の常任指揮者に就任していた私は、高校の音楽教員の傍ら、一般社会生活ではオーケストラ指揮者として知られていたせいか、新任者紹介では、その期待感からか大声援で迎えられたことを、今でもはっきりと覚えている。(当時の生徒集会は、体育館ではなく本館と2号館の間の中庭で行なわれていた)吹奏楽部員も前年度は25名程度であったが、一挙に50名を越え倍増したことからもわかる。以後、音楽の授業においては、チーチーパッパ的教育音楽ではなく、音楽の本質と精神に迫る、かなり専門的な授業を私は行なった。それまでの息抜きと眠ることができる音クラの授業から、精神を張りつめた授業への変化は、52年卒の諸君には戸惑いを感じた人も少なからずいたことと思います。教材曲は常にオリジナリティを重視し、声楽曲ではイタリア語、ドイツ語での原語唱、リコーダーではバロック曲をピアノの音色ではマッチしないと、本物のチェンバロを購入するなど・・・・。鑑賞では、65分の授業時間をフルに使い、4050分の長い交響曲も割愛することなく、生徒自らの選曲による授業・・・・というように。

吹奏楽部では、優秀な生徒に恵まれて、51年から9年間連続の関東大会出場(当時は関東甲信越8県での大会で、現在のように東と西の4県ずつに区分されていない)というように、“吹奏楽の水戸一高”を確立し、ミドーラ・ウインド・オーケストラとして、一流のソリストを迎えての、水戸一高ならではのユニークな定期演奏会を開催するなど、思い出に残る活動ができました。

現在は7年前に定年退職し、一高在職中の昭和61年(1986年)に自らのオーケストラとして立ち上げたプロ集団「イ・ソリスティ・イバラキ室内合奏団」の代表・常任指揮者として、<地域からの市民文化の形成>と<文化の自立>を基本理念に、地域に根ざした演奏活動を続けております。今年は、合奏団結成20周年を迎えました。

近年の不況は、文化・芸術をとりまく環境に依然と厳しさを与えていますが、水戸一高同窓生の皆さんのご理解とご支援を賜りますようお願いを申し上げます。

先生方の近況のご紹介 〜永島先生〜