秋山 亘先生(35組担任、社会)


質問は次の3つだと思います。私が@皆さんの卒業後どのように過ごしたか、A最近どうしているか、B水戸一高をどのように思い出すか。

@     皆さんの卒業翌年の78年(昭和53年)は創立百周年記念の年で、私は当時8人の「水戸一高百年史」編集委員の1人に選ばれていて、皆さんの在学中から足掛け4年その編集作業に追われていました。また、創立百十周年記念ではインドネシアの高校との交流が始まり、たまたま当該学年を担当していたために、派遣生徒(十数名)と一緒に2回現地に行きました。一方で、卒業2年後の79年、共通一次試験が始まったのを契機に入試制度が大きく変わり、一時期進路指導に係わったこともあってその波に直接揉まれることになり、暫くは気の休まる暇がなかったように記憶しています。いつも忙しかったけれど、生徒諸君や同僚の皆さんとの交流は楽しく、居心地がよくて次第に水戸一高に根が生えて、退職までの24年間が瞬く間に過ぎたような印象です。自分の在学中を加えると、27年の歳月をこの学校で過ごしたことになります。


A     退職してから数年間、水戸市内の私立高校に誘われて勤務。ここでは非常勤にして貰って一定の時間を確保し、これまで出来ずにいたことを叶えるため幾つか目標を立てました。

その一つは、本の知識でしかなかった世界史の授業の中の都市や史跡を、自分の眼で見ることです。80年代から夏休みなどに心掛けていて、実はあまり捗らなかったものです。以来、年23回のペースで成田に向かい、あちこち歩いてとりあえず一区切りつけた頃は、よくもまあ、見てきたようなウソを、と自分の授業を思い返して冷や汗もしばしば。ギリシア・ローマの支配の名残をそのまま残すエフェソス(トルコ)やアグリジェント(シチリア)、中世に西欧沿岸劫掠のヴァイキング船が漕ぎ出したフィヨルド(ノルウェー)。観光地化し過ぎたナポレオン最後の戦場ワーテルロー(ベルギー)や独立戦争幕開け「ボストン茶会事件」の埠頭(ボストン)。目を瞑ると通り過ぎてきた街が次々と浮かびます。いつも上っ面を撫でる程度の慌しい旅ですが、「百聞は一見に如かず」程度の収穫はあるものです。


B    @に書いた「百年史」編集は、きつかったけれども得がたい体験だったと思います。最繁忙期には、授業を午前中に集め、午後は編集会議、夜は酒も飲めずに自宅で執筆、寝るのが午前1時前後。まるで受験生でした。しかし、今では懐かしい思い出です。昨今流行のキーワード「達成感」かも知れません。その編集の中で学んだことは、この学校百年を貫く変わらぬ特質は「自由」な思考、「自主」的な行動。

インドネシア高校との交流の際は、ジャカルタ駐在の水戸一高OB数人が、突然ホテルに訪ねてくれました。そして滞在中は、彼ら独自のネットワークで機敏に後輩のために動いてくれるなど、不慣れな外国で大助かりでした。

彼らがこうして母校を懐かしむ姿に共感しながら、考えたものです。例えば管理色の濃い学校があって、成績だけ一喜一憂の毎日を過ごした卒業生たちは母校を懐かしくは思わず、後輩を慈しむ気持ちも薄く、はるばるやって来る後輩を歓待する発想など共有しにくいのではないか、と。このOBたちに、自主性に育まれた水戸一高卒業生の底力を感じたと云ったら、手前味噌に過ぎるでしょうか。

ただ、この話とは別に、行き過ぎた母校ナショナリズムは良くないと思います。普段は出身校などにこだわらず、いろいろな人と接して多様な生き方を学ぶのが良いのは当然です。

先生方の近況のご紹介 〜永島先生〜