恩師訪問の連載第3回です(最終回)。
今回は39組増田剛くんによる、31組担任の清水寿夫先生、39組担任の高橋徳正先生、そして33組島田孝夫くんによる、33組担任の高瀬一郎先生、の三人の訪問記と後記を掲載します。

★恩師訪問記は今回で終了ですが、恩師の先生方の近況・お便りなどの掲載も開始しております。随時追加掲載していきますのでお楽しみに!
31組担任の清水寿夫先生


12月10日、安藤くんと増田で、清水先生、高橋先生宅を訪問いたしました。

清水先生宅へは地図を頼りに訪問したのですが、当初場所がわからず、先生にわざわざ道路のわかるところまで出てきていただいてしまいました。

清水先生はお元気で私達の年代のメンバーも多く記憶していらっしゃいました。
また、清水先生に雨澤さんが幹事代表であることをお話したときも非常に嬉しそうにされていらっしゃいました。

冬場はスキーをされていて、同窓会前にもカナダに出かけられるとのことでしたが同窓会当日ご都合がつけばご参加いただけるとのことでした。
先生方同士の連絡も続けていらっしゃり、ほかの先生方も皆様お元気そうだというお話を伺いました。


39組担任の高橋徳正先生

午前中に清水先生への訪問を終えた時点でちょうどお昼になってしまったため、安藤くんお勧めのそばや(石臼挽き手打ちそば かずき)のそばづくし定食を堪能した後、高橋先生へ確認のお電話を差し上げたところ、 前日には先生にご都合を確認していたのすが、先生は急なご用事ということでお会いすることができなくなり、やむをえずご案内を奥様にお渡ししてお願いをしてまいりました。
先生は携帯をお持ちでなく一度外出されるとなかなか連絡がつかない、と逆に奥様に恐縮されてしまいました。(そばがいけなかったか?)

高橋先生からは当日夜にお電話いただき、来年2月から3月にかけてまとめなければならないお仕事があるとのことでご連絡がありました。
大変残念です。しかし、予定が変更になられた時にはお知らせいただくとのことでした。 
お電話のお声は大変お元気そうでした。私としては声だけでも大変嬉しく思いました。 

高橋先生は、1月最初の幹事会でも茨城新聞の記事の報告がありましたが、おくの細道の行脚がついに結びの地に達せられたとのお話を賀状にていただきました。

(HP管理人註:高橋先生のおくの細道行脚が茨城新聞で紹介されました。HPへの転載許可を茨城新聞社からいただいておりますので、近日中に掲載いたします。)


●33組担任の高瀬一郎先生


12月11日に猿田くん(33組)とともに訪問しました。

先生は、前年(51年卒)の35組のクラス担任でしたが、根本先生が学年主任になられたため、引き続き私たちの学年のクラス担任を引きうけられたとのことです。
先生のお父さんが一高の教員で根本先生がご一緒であったことは既述しましたが、先生ご自身も昭和31年卒の一高OBです。

高瀬先生も60?才。勿論、お元気ですよ。
囲碁を趣味として碁会所に通う一方で、古文書(江戸時代もの)の研究を始められたとのことです。和室の一角に文机があり、その上に研究素材の古文書が整然と置かれており、先生のお人柄を映す佇まいでした。
また、近くの水戸市の市民農園(10坪ほど)を借りて、野菜作りも始められたとのことです。

最後に、他の先生に伺った、私たちが知らないエピソードを紹介します。
ある時、島校長が大掃除をサボって帰宅する生徒を校門で生徒名簿片手にチェックしたところ、何と33組が一番多く、高瀬先生は職員室で多くの先生方がいる中で、校長より注意を受けてしまったとのことです。心当たりのある方、今からでも遅くはありませんよ。


後記
今回、増田くんのレポートを含めて6名の恩師訪問記をお届けしました。
他のクラス担任の恩師へも、道川くん(33組)、安藤くん(34組)、澤田くん(34組)、野口(旧姓横田)くん(38組)、増田くん(39組)の協力によりご案内しております。また、クラス担任以外の先生方へは広木くん(36組)が電話にて出席のお願いをしておりますことをお伝えします。

それにしても先生方の記憶力は、まさに恐るべし的であります。
某教科担当の先生は、何と1年次に担当した3クラス名と担任の先生の名前を覚えていらっしゃいました。
恩師の先生方から、「一高時代の思い出や近況についてのお便り」が寄せられております。逐次掲載されますので、ご期待下さい。

それでは皆さん、2月25日故郷(あのころ)から駆けつけていただける恩師をサンケイプラザにてお迎えしましょう。

島田(33組)

島田くん(33組)と増田くん(39組)の恩師訪問記(第3回)