水戸一高昭和52年卒同窓のページ
連絡先(住所等)が変わられた方は、
お知らせください |
「高橋先生を囲む会」開催報告【イベント報告】掲載:平成19年8月16日●「高橋先生を囲む会」開催報告(平成19年7月21日(土)開催17:00〜20:15、 「復活・歩く会」に向けた「救急救命法講習会」に続き、「高橋先生を囲む会」を開催しました。 「高橋先生を囲む会」前の「救急救命法講習会」では岡崎医師を含め11名が参加し、みなさん息が上がりながらも、人形相手に心臓マッサージと人工呼吸を一生懸命実習しました。AED(自動対外式除細動器)の使い方もマスターし、その学習効果は、その夜、酔っぱらった某君が、水戸駅に設置してあるAEDケースを思わず開けてしまったことによって証明されました(でも、なぜか防犯ブザーは鳴りませんでした)。 「高橋先生を囲む会」は、水戸駅エクセル6階「銀座ライオン安倶楽」で開催しました。高橋先生がご来場されたとたん、30年前と変わらないそのお顔とお姿に一同びっくりでした。冒頭の堀之内君ご発声による乾杯に引き続き、先生のお話となりました。 高橋徳正先生は、我々の卒業から数年で県教育庁へ異動され、ご専門の化学とは全く関連のない芸術関係や生徒指導関係の仕事を担当され、次に異動された時には校長先生となられたため、ご定年前に化学の授業を教えることができたのは水戸一高時代が最後であったそうです。定年を迎えられた後も請われて非常勤講師として土浦一高や医歯薬コースが新設された水戸葵陵高校で講師をされたため、ご定年後も10年間先生を務められ、その後現在は日々これ「歩く会」のような生活を送られているとのことです。 この日、先生は、ご自身が歩かれた行程をたどった『おくのほそ道 行脚の記録』、我々が2年生だった当時の某クラスの昭和50年度『学級日誌』、先生が作られた『思いだすこと』という随筆の小冊子をお持ちくださいました。 <堀之内追記:今回、出席予定者を事前にお知らせ申し上げておいたところ、その出席予定者の住所などをご自分で書き入れた名簿も作成してお持ちくださいました。追って、参席者の確かな名簿を作成し、私から先生にお送りしておきます。> 先生が「おくのほそ道」行脚を始められたきっかけは、いわゆるメタボ症候群です。医者から「あなた、このままでは早死にするよ。」と言われ、治療には運動することが良い、運動は歩くことが一番良いとのことで、どうせ歩くならと考えられ、「おくのほそ道」行脚を始められたとのこと。 1993年5月1日に始まった「おくのほそ道」行脚は2005年9月24日まで延べ28回、72日間、44泊にわたって完全踏破され、今年からは中山道に挑戦されているそうです。脱帽です。そして、今秋の我々の「復活・歩く会」にもご参加くださることになりました。 高橋先生のお話を皮切りに、みんなの自己紹介や近況報告が進み、時々チャチャが入ったりしながら全員の話が終わった時には、開始からもう1時間半を過ぎていました。その後は歓談タイムとなり、高橋先生から卒業できるかどうか心配だった某君のことや、卒業式での堀之内君の答辞のエピソードなども伺える非常に楽しい会となり、当初の飲み放題終了予定時間も延長して盛り上がりました。最後に集合写真を撮り、飯村稔君による一本締めで散会となりました。 高橋先生を囲んでみんなでポーズ(注:残念ながら石割くんが所用のため写真撮影時には帰られた後でした。尚、撮影は救急救命法の講師をしてくださった薗部さんです。どうもありがとうございました) 京都に住んでいらっしゃる先生のお嬢さんから、このホームページに「高橋先生を囲む会」の開催予告が出ているとご連絡を受けられたとのこと。高橋先生の嬉しそうなご様子を拝見し、インターネット時代の恩恵も改めて感じる日となりました。 以上、39組・小池数与からの報告です。 <堀之内追記:今回の報告は、今でも高橋先生と年賀の遣り取りをされているロンドン帰りの飯村洋一君にお任せしようと思っていたのですが、急遽、飯村君の欠席により断念せざるを得ない状況でした。それではと、小池君に白羽の矢をたてましたところ快諾いただきました。小池君、ありがとうございました。 ◎ 写真アルバム公開
※写真アルバムへのアクセスにはパスワードが必要です。52年卒でメールアドレスを登録いただいた方には配布済みですが、もしご不明の方は WEB管理人までお問い合わせください。 |