ホーム
このサイトについて
旧ホームページ
ニュース・案内
イベント報告
同級生の近況
恩師の近況
水戸一高・
同窓生関連
リンク
更新履歴
ご意見・
お問い合わせ
連絡先(住所等)が変わられた方は、
お知らせください

「高橋先生を囲む会」開催報告

【イベント報告】掲載:平成19年8月16日

●「高橋先生を囲む会」開催報告(平成19年7月21日(土)開催17:00〜20:15、
  「銀座ライオン安具楽 水戸エクセル」)

「復活・歩く会」に向けた「救急救命法講習会」に続き、「高橋先生を囲む会」を開催しました。

参加者は、以下の通りでした(*印は講習会出席者)。
主賓:39組ご担任・高橋徳正先生
31組:雨澤令子さん(*)、石井伸一郎君(*)
32組:石割宏君
33組:秋山豊君(*)、飯村稔君、鹿島優君、島田孝夫君(*)、伴敦夫君
35組:小久保優君(* 翌日サンフランシスコへ帰国にて講習会のみ出席)
36組:安蔵寧君                                   幹事役の堀之内くんと高橋先生
37組:岡崎匡雄君(*)、高沢治君(*) 
38組:江戸弘治君(*)、伊藤雅彦君(南町のカラオケ「シダックス」での2次会出席)
39組:池田久君、梅原裕君、小池数与(*)、佐々木和義君(* 急用あって講習会のみ出席)、
早川浩君、古川和朗君、堀之内秀有(*)、渡辺正光君      
蘇生講習会講師:関義元医師(* H5卒水戸一高OB)、薗部様(笠間市の消防士・救急救命士)

 「高橋先生を囲む会」前の「救急救命法講習会」では岡崎医師を含め11名が参加し、みなさん息が上がりながらも、人形相手に心臓マッサージと人工呼吸を一生懸命実習しました。AED(自動対外式除細動器)の使い方もマスターし、その学習効果は、その夜、酔っぱらった某君が、水戸駅に設置してあるAEDケースを思わず開けてしまったことによって証明されました(でも、なぜか防犯ブザーは鳴りませんでした)。

 「高橋先生を囲む会」は、水戸駅エクセル6階「銀座ライオン安倶楽」で開催しました。高橋先生がご来場されたとたん、30年前と変わらないそのお顔とお姿に一同びっくりでした。冒頭の堀之内君ご発声による乾杯に引き続き、先生のお話となりました。

 高橋徳正先生は、我々の卒業から数年で県教育庁へ異動され、ご専門の化学とは全く関連のない芸術関係や生徒指導関係の仕事を担当され、次に異動された時には校長先生となられたため、ご定年前に化学の授業を教えることができたのは水戸一高時代が最後であったそうです。定年を迎えられた後も請われて非常勤講師として土浦一高や医歯薬コースが新設された水戸葵陵高校で講師をされたため、ご定年後も10年間先生を務められ、その後現在は日々これ「歩く会」のような生活を送られているとのことです。

 この日、先生は、ご自身が歩かれた行程をたどった『おくのほそ道 行脚の記録』、我々が2年生だった当時の某クラスの昭和50年度『学級日誌』、先生が作られた『思いだすこと』という随筆の小冊子をお持ちくださいました。

<堀之内追記:今回、出席予定者を事前にお知らせ申し上げておいたところ、その出席予定者の住所などをご自分で書き入れた名簿も作成してお持ちくださいました。追って、参席者の確かな名簿を作成し、私から先生にお送りしておきます。>

 先生が「おくのほそ道」行脚を始められたきっかけは、いわゆるメタボ症候群です。医者から「あなた、このままでは早死にするよ。」と言われ、治療には運動することが良い、運動は歩くことが一番良いとのことで、どうせ歩くならと考えられ、「おくのほそ道」行脚を始められたとのこと。

 1993年5月1日に始まった「おくのほそ道」行脚は2005年9月24日まで延べ28回、72日間、44泊にわたって完全踏破され、今年からは中山道に挑戦されているそうです。脱帽です。そして、今秋の我々の「復活・歩く会」にもご参加くださることになりました。

 高橋先生のお話を皮切りに、みんなの自己紹介や近況報告が進み、時々チャチャが入ったりしながら全員の話が終わった時には、開始からもう1時間半を過ぎていました。その後は歓談タイムとなり、高橋先生から卒業できるかどうか心配だった某君のことや、卒業式での堀之内君の答辞のエピソードなども伺える非常に楽しい会となり、当初の飲み放題終了予定時間も延長して盛り上がりました。最後に集合写真を撮り、飯村稔君による一本締めで散会となりました。

 高橋先生を囲んでみんなでポーズ(注:残念ながら石割くんが所用のため写真撮影時には帰られた後でした。尚、撮影は救急救命法の講師をしてくださった薗部さんです。どうもありがとうございました)

 京都に住んでいらっしゃる先生のお嬢さんから、このホームページに「高橋先生を囲む会」の開催予告が出ているとご連絡を受けられたとのこと。高橋先生の嬉しそうなご様子を拝見し、インターネット時代の恩恵も改めて感じる日となりました。

以上、39組・小池数与からの報告です。

<堀之内追記:今回の報告は、今でも高橋先生と年賀の遣り取りをされているロンドン帰りの飯村洋一君にお任せしようと思っていたのですが、急遽、飯村君の欠席により断念せざるを得ない状況でした。それではと、小池君に白羽の矢をたてましたところ快諾いただきました。小池君、ありがとうございました。
7月21日の「救急救命法講習会」は、37組岡崎医師にお願いし、関医師、薗部救急救命士のご指導を仰ぎ、午後2時から約2時間にわたって行いました。初めて、心肺蘇生(人工呼吸と心臓マッサージ)とAEDの使用法を実習しました。心肺蘇生に使用したレスキューマスクは、常時、車の中に携帯しようと思います。AEDもいざとなったら使用できるだろうと思います。機会があれば、一度はこのような講習会に参加することをお奨めします。
「高橋先生を囲む会」での司会を誰にお願いしようかと思案していたところ、救急救命法講習会で小池君が活躍される姿を見て、動じない姿を見通して依頼しました。小池君は場の雰囲気を察知され、快く司会をお引き受けくださり、スムーズな宴会進行となりました。小池君と旧姓・黒沢洋子さん(32組)の結婚式の主賓は、高橋先生と片岡先生であったとのことです。
ここ何年か、私はお酒を飲むと記憶がなくなってしまいます。飲み過ぎが第一の原因とは分かりつつ、脳細胞の劣化かも。こういう理由から幹事役はあまりお引き受けしたくなかったのですが、高橋先生へお声掛けくださった増田君が仕事で参席できない状況が徐々に濃厚になり、ついには直前日に参席できない電話を受けました。これではどうしようもない状況でしたので、必然的にお引き受けした次第です。開始からお開きまでの3時間は一応セーブできる自信がありましたので、無事、高橋先生のお出迎えもお見送りもできたと思っています。
 2次会は、元野球部の4人と別れ(どこへ雲隠れしたのでしょうか?)、10人位で銀杏坂を10分ほど歩いた南町のカラオケショップ「シダックス」へ行きましたが、その記憶は殆どありません。憶えているのは、大洗の歯科医の伊藤君に合流してもらったことと、飯村稔君の上腕筋がやたら太い(おそらく40cm以上)ことだけです(飯村君の腕は、槍投げか円盤投げかハンマー投げをしている腕でした)。カラオケが終わった後、なぜ柏へ朝帰りになったのかも憶えておりません。多分、土浦駅前でF君と飲んでいたようなおぼろげな記憶のみです。>


◎ 写真アルバム公開
『高橋先生を囲む会』の写真アルバムを公開します。
撮影を担当された高沢くん(37組)に感謝いたします。

※写真アルバムへのアクセスにはパスワードが必要です。52年卒でメールアドレスを登録いただいた方には配布済みですが、もしご不明の方は WEB管理人までお問い合わせください。