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懐かしのあの品々

■歩く会完歩賞(昭和49、50、51年)

 皆さん、このバッヂを覚えていますか。 水戸一高の校章のデザインではありますが、「歩く会の完歩賞バッヂ」です。 なぜ3つあるかというと、高校3年間で参加した年ごとに色が違うのです。 あの途中中止の年のバッヂもあります。 34組の川島(旧姓 唯根)敦子さんが今でもお持ちで 写真とコメントを寄せてくださいました。

完歩賞

♥ S49年(青)  歩く会の終了した翌日のホームルームで「今年は大洗・那珂湊コースなので海にちなんで青いバッヂです」と言って12組担任の根本先生にいただきました。箱をあけると、太平洋の海原のような深い青いバッヂが入っていました。

♥ S50年(赤)  那珂町・大宮コースは雨のため大宮小で中止となりました。ここで私の記憶はとぎれます。中止となった後、どのようにして水戸まで帰ったのか、まったく記憶にないのです。水郡線で帰ったのか、あるいはバスで帰ったのか・・・?そして次の記憶は21組ホームルームへと飛びます。「今年は歩く会が中止となったのですが、すでに完歩賞を作ってしまったので、このバッヂは君たちにあげます。水郡線沿線の紅葉にちなんで赤いバッヂですよ。」と根本先生はおっしゃいました。

♥ S51年(緑)  涸沼・岩間コース・・・またもや雨のため涸沼から折り返して、ため息をつきつつ歩いて水戸へ戻りました。そして翌日、34組のホームルームで「君たち、残念だったね!」と宮本先生からバッヂをいただきました。箱をあけると緑のバッヂが・・・これは広大な平野にちなんだ緑のバッヂだな!

 水戸一高在学中の3年間、私の机の一番上の引き出しのスミに、なにげなく箱にしまわれたまま、一度もあけることがなく時が進んでいきました。そしてS52年4月、私は故郷を離れて東京の大学 に進学することになり、その引越しのさなか、私は机の引き出しからこのバッヂの小箱を3つ取り出して、なにげなく荷物の中にしのばせました。不安になったり淋しくなった時の心のよりどころとして、あるいはお守り代わりとして無意識に手を出したのでしょう。
 以後、社会人となってからも結婚してからも、そのバッヂは私の小さな宝石箱(宝石はほとんど入ってないのですが・・・)の中にずっと箱ごとしまったままになっていて、あけることもありませんでした。ところが昨秋「夜のピクニック」の映画を観た後、突然に思い出し、箱をあけ30年ぶりに3色のバッヂを並べてみたのです。まるで玉手箱をあけたみたいで涙が出てきました。

 34組 川島敦子(旧姓 唯根)


   このバッヂに関して、
     ・私も持っている
     ・これにまつわる思い出がある
     ・他にこんなものも持っている
   という方の もお待ちしております。

私も実家に帰ったら、探してみようかな・・・。

汀(34組)