水戸一高昭和52年卒同窓のページ
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久米くんのハノイ便り【同級生の近況】掲載:平成19年6月17日■ハノイに赴任中の久米一由くん(31組)がハノイ便りを寄せてくださいました。 〜 赴任後3ヶ月を経て 〜 三菱商事ハノイ事務所駐在 今年の2月22日にベトナム(ハノイ)に着任した。三菱商事に勤めて26年になるが、海外赴任は1985年から89年のサウジアラビア(ジェッダ)、1996年から2001年までのタイ(バンコク)に続いて3度目だ。前の2回はいずれも自分が東京で担当し、何度も出張していた国への赴任だったが、今回は経験も土地勘も全く無い場所への赴任だ。多少の不安もあったが、海外赴任は3回目で慣れている事と、恐らく最後となる海外駐在は東南アジアが良いなと思っていたので、むしろ楽しみの方が大きかった。 ベトナムは南北に細長くS字型に伸びた国で、北と南では気候、気質、方言等がかなり異なり、いろいろな意味で南北の違いを抱える国である。北の中心は首都のハノイ、南の中心はホーチミンだ。人口は8,400万人で、東南アジアでは(最近フィリピンが8,500万人になったとも聞いたが)インドネシアに次ぐ規模であり、その9割はいわゆるベトナム人(キン族)である。一人あたりGDPは640ドル、まだまだ貧しい。 この国に来て、まず驚くのは、街中のバイクの数だ。バイクの多さはバンコクで見慣れていたはずだが、この国のそれは凄まじい。多くの違いを持つハノイとホーチミンだが、バイクの数の多さは共通だ。街中の公共交通が発達しておらず、車の価格が非常に高い状況下、人々の手が届く、最も有効な移動手段がバイクなのだ。現在この国は、経済(GDP)成長率8%以上で急成長しているが、今後成長と共に所得が上がり、バイクが車に変わってきたら、かつてのバンコクの如き交通渋滞に陥るのは必至だろう。 ハノイ市民の憩いの場−ホアンキエム湖− ベトナムは、日本が戦争から解放された1945年以降も、長い戦争の歴史を持つ。第2次大戦前はフランスの支配下にあり、大戦中は日本の支配下にあったが、日本の敗戦と共に建国の父ホーチミンが独立宣言をした。しかし、その後フランスの再介入を受け、これを1954年ディエンビエンフーの戦いで破り、再度独立を確保するが、同年のジュネーブ会議で、列強の利害から、北緯17度線で国を南北に分けられた事がベトナムの悲劇の始まりである。 この後、ベトナムは、共産主義の北ベトナムとアメリカが支援する南ベトナムとの間で、21年に及ぶドロ沼のベトナム戦争(ちなみにベトナムでは「アメリカ戦争」と呼ぶ)に入っていく訳だが、南北の対立はもとより、南ベトナム内に結成された南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)をみても、ベトナム人が独立と国の統一を求めた気持ちは極めて強かったのではと察せられる。 熾烈な戦いの末、1975年4月30日、ついにサイゴン(現ホーチミン)が陥落し、南ベトナムは崩壊、アメリカが敗北を喫し、ベトナムは念願の国家統一を果す訳だが、この国の苦難はこれでは終わらなかった。この後の共産主義政権の経済運営の失敗、カンボジアのクメールルージュ(ポルポト派)に対抗してのプノンペン侵攻と、それが原因で各国から受けた経済制裁で、国の経済はどん底に落ちた。 このままでは立ち行かないと、この国の経済政策を大きく転換したのが、1986年のドイモイ(刷新)政策で、この後ベトナムは改革・開放経済に変換する。しかし、この国が急速に発展を始めるのは1990年代半ば以降である。90年代半ばの第1次投資ブームの後、1997年のアジア経済危機の影響で一時停滞するが、2002〜03年以降、再度急成長が始まった。 活気溢れる工事中の発電所にて(左端が久米) 実際ここ数年の成長は目を見張るものがある。海外からの投資も増え、国全体が大変活気に溢れている。まだまだ電気、水、道路、鉄道、通信等のインフラ面は大きく遅れており、今後改善の余地は大きいが、我々のような商社マンには仕事の宝庫とも言える。ただ、仕事のネタは尽きないが、実績に結びつけるのは容易ではない。長い歴史の中で、ロシアや中国との関係の深いこの国では、これらの国の機械やプラントが入ってきており、日本がこれらと価格的に競争するのは容易ではない。 取引先の皆さんと(右から2番目が久米) さて、固い話が続いたが、赴任した後のハノイの印象を少し述べる。ハノイの冬は寒いと聞いてはいたが、赴任したのは2月末、寒いといっても日本の春か秋くらいだろうと思って赴任したが、気温はともかく、3月一杯毎日霧雨が降り、肌寒い。3月はほとんど晴れた空を見なかった。ゴルフが最大の趣味である私は、雨だろうと風だろうとゴルフには出かけるが、半そで半ズボンで行って、雨風に吹かれて凍死しそうになった。まだハノイの真冬は経験していないが、余り甘く見ないほうが良さそうだ。 一方、南のホーチミンはこの時期乾季の真っ最中で、また3〜5月の暑季の最初となり、毎日カンカラカンに晴れて暑い。3月のハノイとホーチミンは同じ国とは思えない。ホーチミンの気候は基本的にバンコクと同じ。5〜10月が雨季、11〜4月が乾季で、乾季の最後の4月が最高に暑くなる。12〜1月頃にごくまれに気温が20度を切ったりしたら、それこそ寒いといって大騒ぎになる。 ハノイは亜熱帯気候で、日本の気温を全体的に高くしたような気候で、一応四季らしきものがある。夏は6〜9月だが、6月に入った今、もう既に十分真夏である。月初にゴルフをしたが、おそらく外気温は40度近く、プレーヤーもキャディーもフラフラになっていた。今こんなに暑くて、7〜8月はどうなってしまうのかと思うが、事情通に聞くと、6月が結構暑くて、7〜8月はさほど変わらないらしい。それにしても湿度も高く、暑い。 余暇はほとんどゴルフです。(左端が久米) ハノイでの生活は、一般的に言って快適だ。確かに足りないものは沢山ある。 何でもかんでもAからZまで揃うバンコクと比べると、かなり歯抜けでしか揃わないものがある。それでも私が住まいとするサービスアパートでは、毎日掃除、シーツ替えをしてくれ、食器も流しに置いておけば洗っておいてくれる。またメイドと特別交渉し、月30ドルで洗濯、アイロンかけも全部やってもらっている。これ以上望むのは贅沢かも知れない。 道端でマニュキア − 知り合いではありません − 家賃は高い。現在この国は、株と不動産がバブル状態にある。上記の私のサービスアパートは月2,800ドルする。もちろん会社持ちだが、この国の物価水準からかけ離れている。物価と言えば、この国は、ドルの物価と現地通貨(ベトナム・ドン)の物価の二重物価である。ここではドルとドンの両方が全く問題なく通用する。ドルで支払うようなもの(高級ホテル、高級レストラン、ゴルフ場など)は結構高い。しかし、ドンで支払うようなもの(街中の食堂、市場での買い物など)はかなり安い。前者はバンコクより高く、後者はバンコクより安い。 ヴァンスアン − 時々行く足マッサージの店 − 食事は一般的に美味しい。もちろん慣れもあろうが、バンコクでタイ料理が大好きだった私には、ベトナム料理もまた何の抵抗もなく美味しい。調味料の基本も、タイのナンプラーに対し、ベトナムはニョクマムと、どちらも「魚醤」で同じ味がする。一流レストランはもちろん美味しいが、街中の余りきれいとは言えない食堂でも十分美味しい。食事が美味しいというのは、生きて行く上で極めて重要な要素だと思う。 ダックキム − ブンチャーが美味しい店 − ゴルフ環境は最近大分良くなったという状況である。4〜5年前はハノイ近郊で1ヶ所しかゴルフ場がなかった。それが昨年には3ヶ所になり、今年更に3ヶ所増え、まだ数ヶ所建設中である。バンコク近郊には100ヶ所以上のゴルフ場があるから、それに比べるとまだまだだが、そんなに沢山あっても全部行く訳ではないし、3〜4ヶ所あれば十分である。気分転換と日頃の運動不足解消の為、毎週楽しんでいる。 ナイスショット!(もちろん、私です) 以上、取り留めのない報告になったが、この国の成長を楽しみながら、あと4〜5年駐在できれば良いと思っている。現在、ベトナム小隊結成の動きがあるが、是非皆様のお越しをお待ち申し上げます。 |