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第8回「復活・歩く会」合同自主トレ総集編

【イベント報告】掲載:平成27年1月25日

● 成田編(平成26年1月19日開催)

コース:宗吾参道駅~東勝寺(宗吾霊堂)~宗吾旧宅~印旛沼~JR成田駅~成田山参道(昼食)~
    成田山新勝寺~出世開運稲荷~成田山公園~京成成田駅 合計12キロ
参加者: 堂(旧姓:飛田)さん、島田くん(以上33組)、川島(旧姓:唯根)さん、
    汀くん、(以上34組)、 小久保(35組)、高沢くん、飛田くん(以上37組)、
    酒井(旧姓:武石)さん、 堀米(旧姓:坂本)さん(以上38組)、
    飯村くん、堀之内くん(以上39組) 合計11名
概要: 1月の自主トレは成田で開催しました。集合場所は京成本線の宗吾参道(そうごさんどう)駅。ここから宗吾霊堂を参拝し、鰻で有名な印旛沼を経由して成田山新勝寺までの約12キロを歩きました。
 前夜の天気予報では関東地方にも早朝に雪が降るということでしたので、かなり寒くなりそうだとしっかりとした防寒対策で飯能駅から池袋行きの電車に乗りました。電車が出発するとすぐに酒井さんから「勝田発フレッシュひたちに乗りました。自主トレ参加します。」というメールが届きました。「雪は?」と返信すると、「いえ勝田は全然降ってませんけど・・・今石岡通過中、うわ、雪積もってる」とのこと。どうも局所的な雪だったようです。
 池袋駅で山手線に乗り換えると、酒井さんから再びメールが届き、常磐線が安全確認のため止まっているということでした。その直後には堀米さんからも佐貫駅で電車が止まっているので遅れそうという連絡が入りました。幸いにもほどなく運行が再開され、集合予定の午前10時を5分ほど過ぎただけで全員が宗吾参道駅に集合できました。
 宗吾参道駅から東勝寺(宗吾霊堂)までは1キロ強の綺麗に整備された道ですが、かなりの上り勾配でした。スタートから体力を使い過ぎの懸念もありましたが、20分ぐらいで急な坂を元気に登りきり、ちょっとしたウォームアップとなりました。宗吾霊堂は、上野寛永寺に参詣する四代将軍家綱への直訴(1653年)によって農民を苛政から救った(直訴の結果、妻子も極刑)と伝承されている佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)様を祀っています。まだお正月の雰囲気が残る境内で甘茶や草餅をいただいて小休止しました(写真下左)。
 次の目的地は印旛沼周辺の鎮守である麻賀多(まかた)神社です。宗吾霊堂から印旛沼に向かう道は交通量が多く、しかも、専用の歩道がないので十分な注意が必要でした。すると麻賀多神社の入り口で「義民ロード」という案内板を見つけました。義民ロードとは佐倉宗吾350年忌に向けて整備された道で、京成宗吾参道駅から宗吾霊堂・麻賀多神社・宗吾旧宅を経て甚兵衛公園に至る7kmのウォーキング路ということでした。すこし遠回りになりますが、トラックが頻繁に行き来する道路よりも田んぼの中を通る道をのんびり歩くほうがよいと判断し、麻賀多神社からは「義民ロード」を歩くことにしました。
 麻賀多神社から義民ロードを1キロぐらい歩くと宗吾旧宅がありました。16代目という現在のご当主のご厚意で見学が可能となっています。中に入ると広い土間があり、そこに歴史を感じさせる農具が置かれていました。宗吾様のご子孫の木内家の方が道具の使い方や謂れを丁寧に説明してくださいました。
 宗吾旧宅を後にして、江川という川で義民ロードから離れ、印旛沼の方向に歩きました。江川沿いの道には朝の雪が残っていました。その上、印旛沼からかなり強い風が吹いてきます。前の人を風よけにして何とか前に進むような感じです。江川の岸で釣りをしている人たちの様子を眺めながら、ようやく印旛沼の堤防にたどりつきました。養殖生簀の竿が立つ印旛沼の水面を見ると強風で波立っていました。ここからたった700mでしたが、冷たい風の中、足場の悪い堤防を歩きました。うっ・・・かなりこたえる・・・これは寒い。後からの島田くんのメールによれば寒さで唇が切れてしまったということです。確かに寒かった。
 宗吾旧宅でお爺さんのお話をゆっくりお聞きしたためか、予定よりも1時間ぐらい遅れており、「鰻さんたちに早く会いたい!」と強い要望が出るようになりました。寒さに震える体を「ベストゴルフ成田」というゴルフ練習場で小休止して暖めた後、一気に成田市街地に向けて成田ニュータウンを歩き抜けました。さすがに成田ニュータウンの道は広く、道路沿いには赤坂地区公園中台運動公園など豪華な施設が目立っていました。税金の無駄遣いとは言いませんが、なんともリッチな環境です。
 JR成田駅を抜け、新勝寺への参道に入るとかなりの人ごみになってきました。午後1時すぎ、ようやく目的の鰻屋さん「川豊」に到着しました。すでに昼食のピーク時は過ぎていましたが、この老舗の前は人だかりでお店に入れそうもない状態でした。ほかの店の状況を見て、「近江屋」の列が短くなりそうだったので高沢くんに並んでもらい、私は皆さんを近江屋さんに誘導しました。幸いにもそれほど待たずにお店には入れましたが、それから鰻重が出てくるまでかなり待つことになりました。このため、堀之内くんはちょっと熱燗を飲みすぎたかもしれません。
 近江屋さんを出たのは午後2時30分ごろで、いよいよ成田山新勝寺に参拝です。ふらつく堀之内くんを高沢くんが支えながら歩いてくれました。総門で礼をして、仁王門を潜り、大本堂でお参りしました。参拝後、成田山公園に向かおうとしたところ、堀米さんが「出世開運稲荷」にお参りしたいということで、成田山公園とは反対の西のほうに移動しました。成田山の「出世開運稲荷」のご本尊は佐倉藩主・稲葉丹後守が寄進したもので、商売繁盛・開運成就・火伏せのご利益があるとのことです。堀米さんは狐のお人形と油揚をお供えしてお参りしました。そこから大本堂に戻る途中の階段で、遠くに筑波山が見えました。これはカメラではなかなか収められない見事な眺望でした。
 次に大本堂の左側の階段を上り、平和大塔のほうへ登っていきました。階段が終わり、成田山公園に向かう道を歩くと噴水があり、ちょうど平和大塔の真下に当たります。夕暮れが近づいてきている中で、平和大塔と噴水とを背景に記念撮影をしました(写真下右)。
 その後、成田山公園をぐるっとひと回りしてから、大本堂東側の三重塔まで戻り、仁王門、総門から成田駅方面に向かいました。午後4時過ぎの参道は来た時とは別世界のような静かな通りでした。明治32年創業の和菓子屋「なごみの米屋」でお土産(川島さんおすすめの栗蒸し羊羹他)を購入して、京成成田駅に移動しました。
 今回は印旛沼の岸辺の風が強く、すごく寒かったのが印象的です。また、お昼には成田名物の鰻を堪能し、新勝寺をゆっくりと参拝できました。打ち上げは京成成田駅傍の居酒屋「はなの舞」で、一高時代の昔話に花を咲かせました。午後6時40分ごろお開きとし、茨城から参加された堂さんや酒井さん、柏在住の方はJR成田駅から、東京近郊からの参加者は京成線を利用して、それぞれ帰宅しました。

 

 宗吾霊堂大本堂                  成田山平和大塔

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 真壁編(平成26年2月16日開催)

コース:TXつくば駅=(バス)=真壁城址~伝正寺~割烹二葉(昼食)~
    真壁ひなまつり会場散策=(バス)=TXつくば駅(打ち上げ) 合計9キロ
参加者: 飯村稔くん、佐藤(旧姓:柳沢)さん、堂(旧姓:飛田)さん、島田くん(以上33組)、
    川島(旧姓:唯根)さん、汀くん、(以上34組)、小久保(35組)、高沢くん、
    飛田くん(以上37組)、酒井(旧姓:武石)さん、
    堀米(旧姓:坂本)さん(以上38組)、大島くん、飯村洋一くん、
    堀之内くん(以上39組) 合計14名
概要: 39組・大島くんの故郷の真壁で開催される「真壁ひなまつり」に行き、古~~い街並みを散策してきました。土浦と岩瀬を結んでいた筑波鉄道が1987年に廃止となり、さら最後まで残っていた筑波山口から真壁までの路線バスも2011年に姿を消してしまった真壁ですが、雛祭りの季節限定で臨時バスがTXつくば駅と水戸線岩瀬駅からそれぞれ運行されます。今回は岩瀬駅からのバスに飯村稔くん、佐藤さん、堂さん、酒井さんの4名が乗車し、TXつくば駅から他の10名が乗車しました。TXつくば駅組の集合時刻は9時40分としていましたが、少し早めに到着した小久保は関鉄バス窓口で10人分の乗車券を購入しておきました。その際、窓口の方から乗車記念グッズとしてピンク色が目立つTXの帽子10個をいただきました。大きな袋で、かさばる~~~~!
 そして集合場所の改札出口で他のメンバーを待っていると、川島さんから「駅前にある『ミスド』で高沢くんの翻訳出版第2弾『恐喝者と殺人者』のサイン会を開催しています」と連絡が入りました(「恐喝者と殺人者」も第1弾同様、あのカーター・ディクスンの著作で、1月に出版されました。高沢くん、おめでとう!)。先ほど駅でいただいた帽子は「ミスド」で皆さんに手渡し、ようやく身軽になることができました。そして予定通り10時発のバスに全員が乗車しました。東京地方が前日に大雪だったためか、混んでおらず、私たち以外の乗客は3、4人でした。つくば駅から真壁まで50分の予定でしたが、実際は40分弱で真壁体育館(真壁城址)の臨時バス停に到着しました。真壁城跡の散策や体育館で休憩している間に岩瀬駅組が乗ったバスが定刻に到着しました。
 これで14名が全員集合!
 ここからは、地元育ちながら真壁を離れてすでに何十年も経っているという大島くんの案内です。大丈夫ですよね…
 まず、山頂に大きな風車が見える山の麓の方向に歩きはじめました。前日、東京以西は大雪でしたが、ここ真壁は雪がほとんど降らなかった模様です。真壁城の石垣が田圃の中に再現されている景色を横目で眺めながら、赤穂浪士の浅野家と所縁がある山麓の伝正寺を目指します。1キロぐらい歩いて田圃道から離れ、細い道を進み、坂の勾配が少しきつくなってくれば伝正寺があるはずです。しかし山門への石段らしきところに近づくと、無情にも「全面通行止め」の表示がありました。堂さんによると、以前ドライブで立ち寄ったことがあり、その時も石段は崩れていたということでした。止む無く山門を迂回して本堂に行こうとしましたが、残念ながら新築工事中でした。遠目に新しい本殿を望むことができましたが、この由緒あるお寺は次の機会に参拝することにしましょう。
 伝正寺から元来た田圃道を戻り、次は雛祭りで賑わう真壁の街中に入ります。交通量の多い県道41号線を渡ると、最初に出迎えてくれたのは「りんりんロード」として整備されている旧筑波鉄道線路跡です。「いくら歩いてもウォーキング効果が出ない」といつも愚痴をこぼしているウォーキングの達人、島田くんがここでつかつかと先頭に立ち、強い足取りで「りんりんロード」を岩瀬方面に歩き出すと、間もなく旧真壁駅跡(写真下左)に到着しました。真壁駅は乗降客用だけでなく貨物用プラットフォームもあったということで、筑波鉄道の駅として賑わっていたころの面影を残していました。旧駅前通りを歩くと、戦前に御真影と教育勅語が納められていた「奉安殿」がありました。戦前は各学校にあった奉安殿は戦後ほとんど取り壊されてしまいましたが、有志の方が真壁小学校正門にあった奉安殿を移動させてこの地で大切に保管しているということでした。
 まもなく12時、予約していたお昼ご飯です。旧駅前の通りを少し歩いて左に折れると、目指す「割烹二葉」がありました。華やかに飾り付けられた雛壇が私たちを迎えてくれました。その雛飾りの後ろ側にある50人ほどが座れる大広間に通されました。「アド街」でも紹介された「粋とんセット」を頂きましょう。「つちのなかを照らしていたんだね」と記された和紙に描かれている大きな蕪が丸ごと一個入った澄まし汁のすいとんでした。
 食事が終りかけたころ、飯村稔くんの隣のテーブルの女性の方から声がかかり、なんと、飯村稔くんが以前勤めていた学校でのお知り合いの方だということでした。
 意外と世の中狭いようです。
 お腹も十分に満たされ、午後は雛まつり会場の散策です。まず、老舗旅館の「橋本旅館」に行きました。階段を雛壇に見立てて、雛人形が飾られていました。「二階に享保雛を飾っておりますので、ご覧下さい」というお店の方の声に誘われて急な階段を登っていくと、島田くんが琴を演奏している女性と親しげに話をしていました。なんと34組・古橋くんの叔母さまだそうです。ここに飾られている享保雛は真壁でも最も古いものと謂われており、古橋くんのご実家、古橋家に代々伝わる雛人形です。現在、古橋家は東日本大震災で建物が傷み修理中のため、橋本旅館のご厚意で展示することができるようになったということです。享保雛を前にして、古橋くんの叔母さまたちの伴奏で、懐かしい「うれしいひなまつり」を合唱しました。
 橋本旅館を後にして、安達家、潮田家、中村家、旅籠ふるかわ・・・と訪ねると、それぞれに表情の異なる由緒あるひな飾りが出迎えてくれました(安達家はつるし雛、など)。そしてもうひとつのお楽しみ、食べ歩きグルメも満喫しました。特に50円の昔コロッケを並んで購入して頬張り、なつかしい味に浸りました(写真下右)。
 旧真壁郵便局がある目抜き通りの「御陣屋前通り」はかなりの人ごみだったため、ここからは自由行動として、例えば村井酒造の酒蔵に飾ってあるお雛様や、江戸時代に役所だった真壁陣屋があった地に建つ真壁伝承館で公演されていた人形浄瑠璃を見学しました。その後、真壁伝承館の隣に祀られている神武逍遥所に全員集合し、最後に街外れにあるおせんべい屋さんでお土産を購入することになりました。中心街から旧真壁駅のほうに戻り、そこから「りんりんロード」を今度は土浦方面にしばらく歩き、埴輪専門店「西浦」の前を通り、さらにしばらく田圃道を歩いて、ぬれ煎餅で有名な「煎餅屋千七」にやっとたどりつきました。いろいろに味つけられたぬれ煎をめいめいお土産に購入しました。ゆっくりしていきたいところですが、実は予定よりもかなり遅れており、案内人の大島くんは乗車予定のTXつくば駅行きのバス時刻(午後3時発)が気になっていたようです。そのため臨時バス乗り場の真壁体育館までの道はかなりの急ぎ足でした。野っ原を歩いていると、突然旋風が吹き、大島くんがかぶるピンク色のTXの帽子が飛ばされて、麦畑の中に飛んで行ってしまいました。目立つピンクの帽子だったのですが、拾うこともままならず、残念でした。
 さらに残念なことに、目指していた3時のバスにも間に合いませんでした。次は30分後です。一方、岩瀬駅行きのバスは3時20分発で、乗車する佐藤さんと酒井さんとはここでお別れとなりました。私たちは一本遅れたバスでTXつくば駅に戻りましたが、幸いにも打ち上げ予約時刻丁度に到着しました。今回の打ち上げは、つくば市在住の飯村洋一くんが予約してくれた「樓外樓つくば」で、老舗の味の中華料理に舌鼓を打ちました。飲み放題にしたためか、シコタマ飲んでしまい、前後不覚になった方もおられたようですが、午後7時前にはみな帰路につきました。

 

     真壁駅跡               50円の昔コロッケを頬張っています
                           (佐藤さん、酒井さん、堀米さん)

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 桜坂編(平成26年3月30日開催)

コース:東急多摩川駅~六郷用水~沼部~桜坂~沼部~女堀(おなぼり)~六所神社~
    ガス橋緑地~下丸子駅=(東急多摩川線)=蒲田駅=(東急池上線)=池上駅(昼食)=
    (東急池上線)=五反田駅=(都営浅草線)=大門=(都営大江戸線)=
    御徒町駅(打ち上げ)~不忍池~上野恩賜公園=上野駅
参加者:堂(旧姓:飛田)さん、島田くん(以上33組)、川島(旧姓:唯根)さん(34組)、
    小久保(35組)、飛田くん、高沢くん(以上37組)、酒井(旧姓:武石)さん、
    堀米(旧姓:坂本)さん(以上38組)、飯村くん、佐々木くん(以上39組) 以上10名
概要: 昨年9月に計画した自主トレ「等々力渓谷」は台風による悪天候で中止になりました。今回はそのリベンジというわけではありませんが、その時のコースに近いところを歩きます。東急東横線多摩川駅に集合し、復元された六郷用水沿いに下丸子、池上、大森貝塚を経由して大井ふ頭中央海浜公園まで歩く予定です。ちょうど桜の季節なので福山雅治の歌「桜坂」のモチーフとなった東急沼部駅付近にある「桜坂」で満開の桜並木を見物するという計画でした。しかし何とも残念なことに前日までの好天が嘘のような荒天になってしまいました。どうやら多摩川付近のコースを選択すると雨になるようです。
 今回も水戸・勝田方面から堂さん、酒井さんが参加され、華やかなウォーキングです。
 今年は東京地方の桜の開花は3月25日で、開花から一週間ぐらいで満開となる計算からすると、開催日の3月30日は絶好のお花見日和のはずでした。朝方はまだ雨量もさほどではなく、傘がなくても歩けるぐらいの小雨のなか、東急多摩川駅に定刻10時に9名(堀米さんはお仕事があり、打ち上げだけの参加)が集合しました。多摩川駅東口から線路沿いの狭い道を通り、中原街道をくぐる道路トンネルを抜けると、六郷用水を再現した遊歩道が始まります。遊歩道わきに再現されている水路の幅は50センチから1メートルぐらいで、鯉たちがゆったり泳いでいました。
 遊歩道は沼部駅の近くの東光院のあたりでは少し広くなっており、休憩所があるほか、六郷用水から水を汲み揚げるための足踏み式の水車「ジャバラ」が再現されていました。東光院を左折し、中原街道を品川方面に歩き、川島さんが絶対に行きたいと言われていた「桜坂」に向かいました。この坂は江戸時代には中原街道の「沼部の大坂」と呼ばれていましたが、大正末期に切通しに改修され、その後、道沿いに桜が植えられたことから、「桜坂」と命名されたということです。雨なのでそれほど混んではいませんでした。通行する皆さんの邪魔になるのをちょっと気に掛けながら、「桜坂」の道標のところで記念写真を撮影しました(写真下左)。
 花冷えの雨が降る「桜坂」を後にし、再び六郷用水の遊歩道を歩きました。東海道新幹線の高架を過ぎたところにある密蔵院では見事な枝垂れ桜が咲いていました。さらに少し歩くと、用水沿いの地形が微妙に入り組んだ形になりました。つまり用水路を通すためにはかなり深く掘り進めなければならない地形です。ここが六郷用水の難所である「女堀(おなぼり)」と呼ばれたところで、この名はここを開削した際の工夫に由来しています。真偽のほどは分かりませんが、大田区史に「そこで人でも足りなかったので女もまじえておもしろおかしく張り合いをつけた。そこで今でも女堀という。」という記載があるように、作業者に女性を加えることでこの難所の開削をみごと成功させたということです。女性の作業者の割合は男性十人に対して一人ということなので、私たち52年卒と似たような比率だったようです。さて、この女堀の謂れ、信じられますか?
 次は六郷用水から離れて、環状八号線を下丸子のほうに進路を取りました。次の目的地は酒井さんの希望です。ガス橋付近にある枝垂れ梅を見に行きましょう。お昼近くとなり、少し雨が強くなったようです。そこで下丸子駅で雨宿りを兼ねてトイレ休憩をとりました。下丸子駅からは狭くこみいった路地に入り、戦国時代の開山と伝えられる蓮光院を過ぎ、六所神社の方に向かいます。六所神社は鎌倉時代から祀られていたといわれ、下丸子一帯の鎮守です。このすぐそばにその枝垂れ梅がありました。残念ながら花の季節は過ぎてしまっていましたが、見事な梅の古木でした。その後、近くの「キヤノン」脇の周回道路を通り、多摩川の土手に出ました。キヤノンの敷地の桜も見事に咲いていました。しかしこのころから雨、風が強くなりだし、もうのんびりと桜見物というわけにはまいりません。そんな状態でも「何故“キヤノン”の“ヤ”の文字は大きいのか」というような難問を解説してくれる余裕のメンバーもいました。この「キヤノン」の答えは、高沢くんに聞いてくださいね。
 ガス橋付近の多摩川堤防は「二十一世紀桜並木」と呼ばれ、桜の名所として知られています。しかしこの雨でビショビショになってしまったので、ウォーキングはここで中断としました。下丸子駅から東急線を乗り継いで昼食予定の池上駅まで移動しました。今日の昼食はちょっと趣を変えてインド・ネパール料理の「ロサニ」です。男性は“ナン”食べ放題のランチセット、女性は“ナン”が少なめの「レディースセット」を注文しました。注文するときに辛さを数字で選ぶのですが、大方の人は一番辛くない「1」を選びましたが、飛田くんの選択は当初「3」でした。しかし高沢くんの強いアドバイスに従い、なぜか取り消してしまいました。
 はてさて、辛さ「3」はどんな辛さだったのでしょう?
 お昼を食べている間も雨は強く降っていたようです。昼食のさなか、打ち上げから合流する予定の堀米さんから連絡メールが届きました。当初は大井ふ頭中央海浜公園まで歩き、大森駅付近で打ち上げを行おうと考えていました。しかし堀米さんが東京駅付近とのことから、2時30分ごろに御徒町駅で合流することにしました。昼食を終えてお店を出ると、心なしか小降りになってきたようです。ご主人と待ち合わせの約束がある酒井さんと池上駅で別れ、私たちは池上線で五反田駅に移動しました。五反田から御徒町までは山手線で1本ですが、強風のため山手線が架線障害で止まっていました。ここからは都心に詳しい佐々木くんの案内で、五反田駅から都営浅草線、大江戸線と迂回して、堀米さんの待つ御徒町駅に少し遅れただけで到着できました。まだ明るい時間帯でしたが、御徒町駅前で開いていた串揚げ屋さんで打ち上げを行うことにしました。お店では串揚げなどを注文しましたが、堂さんから「まだ歩き足りないです。」との声も出たように、まだお昼のカレーの満腹感があり、たくさん食べるという雰囲気ではありません。しかしお酒は別のようで、今後の自主トレの予定などを肴にして、わいわいがやがやとおしゃべりして過ごしました。午後4時過ぎに打ち上げをお開きにして串揚げ屋さんを出ると、なんと既に雨は上がり、青空が見えるほどでした。どうやら堂さんのお願いが天に通じたようです。用事があった飯村くんを除くメンバーは、不忍池から上野公園まで再びお花見をしながら歩くことにしました。雨に濡れてはいましたが満開の桜の中、人ごみを縫うように歩きました。海外からのたくさんの観光客もお花見をしていました。ソメイヨシノのように一気に咲き誇る花は海外では珍しいかもしれません。不忍池をゆっくり歩いて、弁天堂で記念写真を撮りました(写真下右)。
 当日の天気予報はお昼過ぎから強い雨模様ということでしたが、幸いにも「雨のち晴レルヤ」で、本格的インドカレーを堪能し、熱々の串揚げでの打ち上げもあり、本当に「ごちそうさん」の一日でした。

 

中原街道桜坂                 不忍池弁天堂

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 月島編(平成26年4月27日開催)

コース:月島駅(昼食)~晴海~豊洲新市場(建築中)~有明~お台場・ガンダム~芝浦ふ頭駅=
    ゆりかもめ=新橋駅(打ち上げ) (約9キロ)
参加者:石井くん(31組)、島田くん(33組)、豊田(旧姓:山名)さん、
    柴田さん(以上34組)、齋藤さん、小久保、修(以上35組)、水村くん(36組)、
    坂場(旧姓:青木)さん、高沢くん、飛田くん(以上37組)、
    堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、大島くん、飯村くん、堀之内くん(以上39組)
    合計15名
概要: 今回は2月の真壁企画を大成功に導いた39組・大島くんの案内人再登板です。昨年10月の第7回「復活歩く会」のとき、「月島でもんじゃ焼きを食べよう」と35組・齋藤さんと意見が合ったということです。今回の主目的が「もんじゃ焼き」のため、お昼直前に月島駅に集合後、そのままもんじゃ焼きのお店「わらしべ」に直行するという、なんとも“宴会”的な計画です。
 事前の開催案内では、“宴会”ではなく“自主トレ”と書いてありましたよね?
 今回は、自主トレ初参加の水村くん、お久しぶりの豊田さん、坂場さん、齋藤さん、柴田さん、石井くんの参加があり、とても賑やかな宴会とウォーキングの一日でした。
 お店の到着はお昼の20分前だったため、そんなに混んではいないはずと想像していたところ、あにはからんや学生風の若者たちが大勢で、すでにテーブルを囲んで大いに盛り上がっていました。私たちは静かに4つのテーブルに分かれて座り、「ファミリーセット」という格安な「もんじゃ焼き・お好み焼き・焼きそば」のセットを注文しました。テーブルごとに食材リストからお好みの具材を選ぶシステムでした。この時点では午後のウォーキングでどのくらい歩くのかを公表していなかったので、アルコール類の注文は少数派で、ノンアルコールビールやソフトドリンクが多数派でした。また、修がたくさん食べられるようにと、4人席に一人足りなかった堀米さん、飛田くん、堀之内くんのところから食材を分けてもらいました。
 もんじゃとお好み焼きをそれぞれの我流で美味しそうに焼き上げ、〆の焼きそばをすべて平らげても、まだまだおしゃべりの花は咲き続きました。そして午後1時過ぎにやっと満腹になったようで、重い腰が上がりました。
 まずは腹ごなしにと、豊洲を経由してお台場のガンダムまでウォーキングです。月島の商店街を抜けて勝鬨橋(かちどきばし)方面に歩き、晴海通りに出たら左に折れ、都営勝どき駅前を通過し、「晴海トリトンスクエア」のほうへ歩きました。トリトンスクエアへ黎明橋を渡ろうとしたところ、黎明橋に並行してもう一つ豪華な橋が架けられていました。大島くんの解説によると、この豪華な橋は動く歩道となっていて“トリトンブリッジ”というのだそうです。大した距離ではないのでわざわざ動く歩道を使って渡る必要はなさそうですが、話のついでですのでこの動く歩道とやらに乗ってみました。動く歩道でのしばしの休息、実に快適でした。トリトンスクエアに入ると巨大な3棟の高層ビル群があり、下から見上げると、高層階が連絡通路でつながっているように見えました。これは3棟のビルが互いに連結制振ブリッジで連結されて震度7クラスの地震にも耐えられるような構造になっているとのことでした。
 超近代的なトリトンスクエアを後にして晴海大橋を渡っていると、大島くんが「豊洲のほうに見えるのが、自分が住んでいるマンションです。」と教えてくれました。工事中を含めてたくさんの高層ビルが建っていました。晴海大橋を渡り終えると、新豊洲駅のところを右に新市場駅の方向に曲がりました。ここが平成27年度開業を目指して工事が始まったばかり(平成26年2月に起工式)の東京都中央卸売市場の移設地です(現在は築地)。ゆりかもめ「新市場駅」に隣接して場外市場の「千客万来施設」が建設されるということなので、2年後にはものすごい賑わいになることを想像しながら、現在は何もない工事中の埃っぽい荒地を眺めながら歩きました。
 有明に渡ると、“あんぱん”で有名な「木村屋総本店東京工場」がありました。そこからお台場のほうに歩くと、「お台場海浜公園」の砂浜が見え、たくさんの家族連れやカップルが波打ち際で遊んでいました。お台場海浜公園の中をひたすらに歩き、自由の女神像のところで小休止を兼ねて記念写真(写真下右)を撮影しました。ここで写真の背景に注目してください。背景には自由の女神像だけでなく、レインボーブリッジや、小さくて分かりにくいかもしれませんが東京タワーも写っています。後からインターネットで調べたところ、ここは超有名撮影スポットなのだそうです。自由の女神像からさらに歩くと、「DiverCity Tokyo」のウェストプロムナードに目指す「ガンダム」の勇姿が見えてきました。幸運にも到着がちょうど午後3時だったので、ガンダムのパフォーマンスを観ることができるとのこと。期待に胸ふくらませて、カメラを構えて、ガンダムを見上げました。どんなパフォーマンスだったかは(秘)にしておきましょう。やはりご自分の眼で実際のパフォーマンスをご覧ください。
 ウォーキング後半は高沢くんが案内人を務めました。高沢くんの計画では、レインボーブリッジを渡ってJR田町駅まで歩くということです。ここで残念ながら、豊田さん、齋藤さん、坂場さん、堀米さんは、お台場駅からゆりかもめで帰られました。残った我々はガンダムを後にしてお台場海浜公園まで戻り、「シーリア」にあるコンビニで水分補給のペットボトルを調達しました。当日はかなり気温が高くなっており、のどが乾きやすく、ウォーキングには頻繁な水分補給が欠かせません。
 レインボーブリッジには歩いて渡ることができる遊歩道が設けられており、「レインボープロムナード」と呼ばれています。レインボープロムナードの長さは約1,700メートル、海からの高さは約50メートルということです。海風が強く吹きつけるため、飛ばされそうになりました。レインボープロムナードは安全のため金網でおおわれていますが、途中に展望できるビューポイントが設けられており、眼下に東京港や第三台場が展望できました。こんな強風ならばすれ違う人はほとんどいないだろうと思いましたが、ランナー、若いカップル、そして熟年のご夫婦など、散策する沢山の皆さんとすれ違いました。そうそう、レインボープロムナードでは、後輪にキャスターを取り付ければ自転車でも手押しで歩けるようになっていました。途中、台車のついた自転車を面倒そうに引いている自転車青年たちにも会いました。
 レインボーブリッジ末端の芝浦ふ頭側の出口はエレベータで上り下りする構造になっていました。エレベータに乗って、やっと強風から逃れることができ、ようやくひと心地することができました。この時点で午後4時を過ぎていましたので、レインボーブリッジを渡り終えたことで目的は達成されたとして、ウォーキングはここで打ち切りとしました。レインボーブリッジ近くの芝浦ふ頭駅からゆりかもめで新橋駅まで移動しました。風邪気味の飛田くんは大事をとって打ち上げは回避して新橋駅から帰宅しました。風邪は万病のもとなので、お大事にしてください。
 当初、高沢くんは田町駅で打ち上げをする予定でしたが、柴田さんのお嬢様が打ち上げに参加したいとのこと。そこで新橋駅SL広場で待ち合わせすることになり、新橋駅の直ぐ傍にあるニュー新橋ビルの3F「四季の詩」で打ち上げを行いました。すると飲み始めて数分後、先ほどお台場から別行動の堀米さんから打ち上げには参加したいという連絡が入りました。ほどなく堀米さんも合流し、大人数のとても楽しい打ち上げとなりました。

 

もんじゃ焼き「みちしるべ」           お台場の自由の女神像

【撮影:堀米さん(38組)、小久保・報告:小久保(35組)】

● 横須賀編(平成26年5月25日開催)

コース:JR横須賀駅~ヴェルニー公園~三笠公園~ドブ板通り~京急横須賀中央駅(昼食) ~
    横須賀中央公園~京急横須賀中央駅=浦賀駅~浦賀の渡し~咸臨丸 出港の地~
    浦賀燈明堂~開国橋~久里浜駅(約12キロ)
参加者:石井くん、(31組)、阿部くん(34組)、小久保(35組)、高沢くん、
    飛田くん(以上37組)、木本くん(38組)、佐々木くん(39組)合計7名
概要: 今回の自主トレは2部構成です。前半はJR横須賀駅からヴェルニー公園を通って三笠公園に展示されている旗艦「三笠」を見学する歴史探訪コース、後半は京急浦賀駅まで電車で移動し、浦賀の渡しから燈明堂開国橋を渡って京急久里浜駅までの海岸散策コースです。
 明治時代のレトロな面影を残しているJR横須賀駅が集合場所です。このJR横須賀線は海軍のために敷設された鉄道なので、近くの京急横須賀中央駅とは全く趣が異なり、人影もまばらで閑散としていました。
 そうそう、今回の参加者は“七人の親爺”だけのためか、全員が揃う間、それぞれが思い思いにレトロな駅舎や、横須賀海軍カレーの公式キャラクターでカモメをモチーフにしている「スカレー」を撮影していました。
 そして10時ピッタリに全員が集合して、隣のヴェルニー公園に行きました。公園の入り口にヴェルニー記念館が設置されており、江戸末期~明治初期に横須賀製鉄所等を建設し、日本の近代化の基礎を築いたフランソワ・レオンス・ヴェルニーの功績を称えています。特に、ヴェルニーの指示でこの製鉄所で使われていたスチームハンマー(国の重要文化財)などの展示が目を引きました。
 ヴェルニー公園はきれいな欧風庭園で、ちょうど赤や白の薔薇の花が咲き誇っていました。通路はウッドデッキになっており、日曜日で繰り出した家族連れがにこやかに散策していました。ヴェルニー公園を抜けると、ダイエーと横須賀芸術劇場の巨大な建物が出迎えてくれました。ここから京急汐入駅に向かって歩きます。駅前の路地を左手に入ると有名な「ドブ板通り」です。でもここは日曜日の午前中の健全な時間帯に訪問するところではなかったようです。たぶん夕方からは賑わうのでしょうが、訪れたときは寂れた商店街という印象です。街路灯に付けられた「DOBU ITA」とローマ字で染め抜いた幟だけがみょうに目に止まりました。
 ドブ板通りから再び横須賀街道を渡り、厳重な警備の米軍横須賀基地ゲート傍を横切り、神奈川歯科大学大学院前の歩道を進むと、三笠公園通りに出ました。東郷平八郎海軍大将の像と旗艦「三笠」の姿が見えてきました。まずは東郷海軍大将像の前で記念撮影です(写真下左)。旗艦「三笠」では、阿部くんがJAF割引の掲示をタイミング良く見つけてくれ、幸いにも割引料金で見学することができました。そして艦内に入ると「11時からボランティアガイドの案内があります。」という放送が流れてきました。居合わせたボランティアガイドさんに尋ねると、「ゆっくり見ると2時間以上かかるが、ガイドツアーは1時間ぐらいで要所を観覧できる」ということでした。これなら昼食時間にも間に合うので、ラッキーついでにとボランティアガイドツアーに参加することにしました。
 終戦後の旗艦「三笠」は荒れ放題でしたが、昭和36年(1961年)に復元され、その後、展示だけでなく、艦内は映画のロケにも利用されたということです。残念ながら建造当時から残っているのは甲板のほんの一部のチーク材のところだけということでした。艦内には日本海海戦に関するいろいろな展示がありましたが、やはり最も印象に残ったのは、東郷海軍大将が日本海海戦の指揮を執った艦橋でしょう。本の挿絵としてなら見たことがありましたが、こんな狭いところに大勢の幹部が勢揃いしたということは驚きです。当時の艦上の人になりきって、日本海海戦の戦況を想像しました。ボランティアガイドは身振り手振りで上手に説明してくださったので、予定時間よりも20分ほど時間超過となりました。最後は連合艦隊司令長官専用階段を登って甲板に出てから旗艦「三笠」を下船して、昼食のレストランに急ぎました。
 横須賀中央駅に近づくと、事前のWEB調査では気が付かなかったのですが、横須賀中央駅の近くにある諏訪神社の例大祭(5月24~25日)が開催されていました。そのため沢山の露店が出店しており、お祭りに来ている人に混じって歩くのは大変でした。さらに、昼食を予定していた「横須賀海軍カレー本舗」も大混雑でした。レストランの一階はお土産コーナになっており、各地の海軍カレーをモチーフにした様々なレトルトカレーや横須賀にちなんだ雑貨が売っていましたので、待っている間にお土産を購入しました。そして待つこと30分、なんとか2組に分かれてテーブルに着くことができました。私のテーブルではみんな、「黒カレー」を注文しました。食べた後でメニューをよく読んでみると、コーヒーが入って黒くなっているということでした。ちょっと苦辛い大人の味を意図したものなのでしょう。
 そして昼食後の腹こなしにと「横須賀中央公園」に向いました。お祭りが行われている駅前の反対側にあたる「平坂(ひらさか)」という、明らかに名称詐称のとんでもない急な坂を登ることになりました。しかし苦労は報われるもので、公園の展望台からは沖合の猿島がよく見えました。広場で子供たちがピストル遊びをしていて、これは懐かしいなと思いながら、元来た急な坂を下りていきました。
 次に横須賀中央駅から京急線で浦賀駅まで移動し、ここからが第2部、海岸沿いの散策です。海岸方向に歩き出すと、今回は生憎都合が悪く不参加だった島田くんが「歴史的に重要だ」と写真をメールしてくれた住友重機械の旧浦賀ドックがありました。ドックを取り囲んでいる塀はかなり高く、残念ながら中を覗くことはできませんでした。
 さらに道なりに歩くと「浦賀の渡し」がありました。この渡し船は、港に隔てられた東西の浦賀の町をつなぐ下駄代わりの乗り物という位置づけです。渡し船には決まった時刻表はなく、呼び鈴を鳴らすと迎えに来てくれました。小さい船なので、私たち一行7名で満席となりました。対岸までの短い船旅を終え、次は「咸臨丸 出港の碑」がある愛宕山公園に登りました。「咸臨丸 出港の碑」は日米修好通商条約の締結百年を記念して1960年に建てられ、サンフランシスコのリンカーン・パーク内にある「咸臨丸 入港の碑」と対を成して建立されたということです。さらに登って愛宕山の頂上からは浦賀港が一望できました。
 次に目指すのは、江戸時代の和式灯台を復元した「燈明堂」です。元々は1648年に浦賀港の入口の燈明崎に幕府の命で建てられたということです。燈明崎はそんなには広くはありませんが、BBQをする家族連れで賑わっていました。この海岸からの眺望は良く、浦賀港と横須賀港を行き来するヨットやクルーザなど、ぐるりと海を遠くまで見渡すことができました。
 燈明堂から戻り、新しく造られた長いトンネルを抜けると、消防総合訓練センタがある久里浜側に出ます。さらに歩いて開国橋を渡ると、「ペリー通り」と名付けられた綺麗に整備された遊歩道があり、その最後のところに「ペリー記念館」がありました。「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と標された大きな碑が立っていました(写真下右)。ペリー艦隊は1852年11月、アメリカのノーフォーク基地から出港し、ケープタウン、セイロン島、香港、上海経由の8か月にもわたる長旅で、翌年7月に日本に到着したということです。誰かさんが、「日本に来るのが本当の目的ではなくて、香港や上海で遊びたかったのだろうね。」と言っていましたが、意外と真実をついているかもしれません。
 5月自主トレのもともとの計画では、ここから「くりはま花の国」でポピーを鑑賞する予定でしたが、お祭りのため昼食時間が延びてしまい、もう4時過ぎとなっていました。そこで、「マグロとポピー、どちらがいい?」と尋ねたら、全員が「マグロ」という返事だったので、「くりはま花の国」は女性たちが参加してくれるときまで取っておくことになりました。そうと決まれば、ペリー記念公園から京急久里浜駅までの2キロ弱の道のりを軽やかに歩くことができ、久里浜駅前にある建物が水色に塗られた「まぐろ居酒屋さかなや道場」で打ち上げをしました。
 今回は歴史探訪の自主トレーニングで、幕末から明治時代にかけての貴重な資料に触れることができました。また親爺だけ7名のウォーキングだったので、打ち上げを含めて、HPにはとても掲載できないような会話が飛び交っていました。えっ、その内容は? 当然、内緒です。皆さんの次回以降の参加をお待ちしております。

 

旗艦「三笠」と東郷大将像               ペリー上陸記念碑

【撮影:佐々木くん(39組)・報告:小久保(35組)】

● 千葉編(平成26年7月6日開催)

コース:千葉駅北口~千葉公園(大賀ハス)~作草部駅=(モノレール)=桜木駅~
    ラ・クッチ―ナ ハナ(昼食)~千城台駅北~御成公園~御茶屋御殿跡~どんどん堰跡~
    富田町=(バス)=千城台駅=(モノレール)=千葉駅
    (打ち上げ) 甘太郎@センシティタワ― (16キロ)
参加者:島田くん(33組)、小久保(35組)、石原(旧姓:小野)さん、 高沢くん、
    飛田くん(以上37組)、堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、 堀之内くん(39組)合計8名
概要: 古代ハス、ご存知ですか? 古代ハスとは、1951年に千葉県の落合遺跡で2000年前の地層から見つけた種子を発芽・開花させたハスのことで、大きいもので直径30センチにもなる鮮やかな花を咲かせ、花の命が4日間と短いハスです。発掘調査を行い、発芽させた植物学者・大賀一郎博士のお名前を冠して「大賀ハス」と命名され、千葉公園では例年6月の中旬以降に見頃になります。今回の大賀ハス企画の案内人は大学時代からずっと千葉県在住の石原さんです。そして、とびっきりお洒落なレストランや夜景の綺麗な打ち上げ会場の手配もしてくださいました。
 集合予定は千葉駅北口に午前10時。しかし千葉駅のホームから北口には直接出られない構造に変更されてしまったようで、かなりの参加者が迷子となりました。北口ロータリーはすぐそこに見えるのに行くことができない・・・、なんて不便な駅なのでしょう。どうやら一度西口改札で駅の外に出てから、新しくできた通路で北口ロータリーに移動するのが正解のようです。7名の参加者がなんとか集合時間前に集まりましたが、肝心の石原さんの姿が見当たらない! 携帯電話にも出ないし、どこにいるの? 
 …と案じていると、少し遅れて石原さんも登場! ご本人もめったに利用しない北口の変化を知らず、迷っていたような??? さあ、これで全員集合です。
 千葉駅北口ロータリーからわいわいとにぎやかに歩いて、おおよそ10分で大賀ハスが咲いている千葉公園蓮華亭に到着しました。千葉公園は明治時代に陸軍鉄道連隊が置かれていたということで、当時訓練に使われていた橋脚などが今でも残っています。今回の自主トレは小久保の都合で当初の予定開催日(6月29日)から一週間後(7月6日)に変更となったので、花の咲き具合が気がかりでした。しかしそれは杞憂でした。最盛期に比べると少ないようでしたが100輪ぐらいの花を見ることができました。大賀ハスの花は前述したように4日間で散ってしまいますが、二日目の花には香気が強く出ていて、防虫剤(?)のようなスーッという香りがしました。美しく咲き誇る大賀ハスを背景に記念撮影しました(写真下左)。
 次に蓮華亭内を見学しました。蓮華亭には大賀博士が調査を行った際に女子中学生が大賀ハスの実を地下約6メートルの泥炭層から発見したいきさつ大賀ハスの花の咲き方などが解説されていました。大賀ハスの展示を鑑賞後、千葉公園内にある荒木山という小高い丘に登ってみました。戦前は頂上に荒木大尉という方の銅像が置かれていたということですが、現在は千葉公園を中心とした地図が描かれています。千葉大出身の小久保と飛田くんがその地図で近くの千葉大学西千葉キャンパスの解説をしていると、同じ千葉大出身の石原さんが、同じ37組でありながら飛田くんと大学が一緒だったということを初めて知ったということで、大学生時代の話で盛り上がりました。石原さんは薬学部で飛田くんと小久保は工学部、西千葉キャンパスでの校舎位置は隣接していましたが、やはり学部が違うと交流は少なく、石原さんにとっては30年以上経った今の新発見となりました。
 千葉公園を後にして、先ほどの写真にも線路が写っている千葉モノレールに乗って、ランチを予約した石原さんおすすめのレストラン「ラ・クッチ―ナ ハナ」に移動です。千葉モノレールには普通のデザインの車両だけでなく、ちょっとスマートで洗練されたデザインの「アーバンフライヤー号」とキャラクターが描かれた「モノちゃん号」もありました。「モノちゃん号」のほうがゆる~い感じで人気が高そうです。
 一応は自主トレなので千葉公園から一駅だけは歩き、作草部(さくさべ)駅からモノレールに乗車しました。途中、千葉市動物公園がある動物公園駅では家族連れが降りていきました。私たちはJR総武線接続駅である都賀駅の次の桜木駅で下車しました。桜木駅から国道51号線を歩くこと1キロぐらいで、目的のレストラン「ラ・クッチ―ナ ハナ」に到着しました。“クッチーナ(cucina)”とはイタリア語で台所を意味するとのことです。このレストランは、よく見かけるファミレスとは違い、ガーデンウェディングができる素敵な庭を持っており、レストラン内の装飾も趣を凝らしていました。私たちはガラスの仕切りで区切られた個室に通されました。石原さん好みのお洒落な雰囲気で、お客さんの多くは女性客だったので小久保を含めた男性陣はちょっと場違いだったかもしれません。ランチセットが2,000円とリーズナブルな価格設定でした。到着が12時前、それから13時30分まで寛ぎました。今日の午前中は4キロも歩いていないので、午後は10キロ以上歩くことになります。最初にきつい距離を歩いてゆっくりお昼を食べる、逆のパターンのほうがよかったかもしれません。
 午後は、このお店の近くを通っている「東金御成(とうがねおなり)街道」に沿って「御茶屋御殿跡」「どんどん堰跡」の史跡を見学して、乳牛育成牧場からバスで千城台駅に戻るコースを予定しています。「東金御成街道」とは徳川家康が1614年の鷹狩のために土井利勝に急遽建設させた街道で、船橋から東金までの約37キロをほぼ直線で結んだということです。実際にこのレストランの近くの若松町交差点から御成街道を歩いてみると、本当にまっすぐな道であることにびっくりします。
 千城台駅近くの交差点、御成台一丁目を過ぎると「提灯塚」という一里塚があり、現在は御成公園の一部となっています。「提灯塚」とは御成街道を造成するときに直線の目印に提灯を掲げたことからそう呼ばれるようになったということです。
 さらに御成街道を歩くと「御殿入口」という案内板が見え、さらに歩くと神社があるかのような林があり、そこに「茶屋御殿入口」と記載された杭がありました。御茶屋御殿は、狩猟場である東金への往還の際の休憩所として造営されました。舗装されていない狭い道を入ると、サッカーコートほどの空間が見えてきました。ここに御殿が建っていたのでしょう(写真下右)。その周りは堀が巡らされていて、往時の御茶屋御殿の立派さがうかがえました。
 ここからは御成街道を離れ、淑徳大学更科総合グランドの下を通る道を歩いて、鹿島川にでました。次はかつて6メートルの落差を持った堰、「どんどん堰」跡に行きます。鹿島川の周囲は茨城の田舎とほとんど同じ田圃のある風景でした。この地域には江戸時代から灌漑用の用水があり、大雨が降ると堤防が決壊する恐れがあったため、鹿島川と最も接近した所に堰を造り、余水を放水したということです。当時、この堰は6メートルもの落差があったため、水が滝のように「どんどん」と音を立てて落下したことから、「どんどん堰」と名付けられたということでした。
 現在は鹿島川土地基盤整備事業が平成元年に完了したため「どんどん堰」もなくなり、小さな碑のみが残っているだけでした。「どんどん堰」跡から田圃道をさらに歩くことになりますが、遠くから雷鳴が聞こえ出していました。間もなく、小降りながら、さぁーと雨が降り出しました。かなり疲れ切っている表情の堀米さんから「まだ、着かないの?」と質問が出ましたが、雨との競争です。御成街道に戻ると、バス停らしいものを見つけたので予定を変更し、「富田」という乳牛育成牧場よりも一つ手前のバス停でバスに乗ることにし、ここで30分ぐらい千葉県泉地区コミュニティバス「おまごバス」の到着を待ちました。幸いにも定刻通りの16時24分にバスに乗ることができ、千城台駅に戻りました。千城台からはモノレールで千葉駅に移動し、モノレールの駅に直結しているオフィスビル「センシティタワ―」22階にある甘太郎で打ち上げを行いました。このお店の奥の部屋からは千葉港が一望でき、綺麗な夜景を鑑賞することができました。案内をしてくれた石原さん、ありがとうございました。


 

千葉公園大賀ハス                 御茶屋御殿跡

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 清里編(平成26年7月20~21日開催)

コース:(20日)新宿駅=(JR中央本線)=甲府駅=(路線バス)= 登美の丘ワイナリー=
    (路線バス)=甲府駅=(JR中央本線、小海線)= 清里駅=(送迎バス)=
    貸別荘「野わけ」
    (21日)貸別荘「野わけ」=(送迎バス)=美しの森・駐車場~美しの森~ 羽衣の池~
    川俣川~展望台~天女山~まきば公園=(清里ピクニックバス)= 清里駅=
    (JR中央本線、小海線)=新宿駅 (12キロ)
参加者:堂(旧姓:飛田)さん(33組)、川島(旧姓:唯根)さん(34組)、
    小久保(35組)、修、飛田くん(37組)、堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、
    飯村くん、堀之内くん(39組) 合計8名
概要: 「8時ちょうどの♪ あずさ2号で♪・・・♪」という狩人のヒット曲と同じ新宿駅8時発特急あずさ号に早起きして乗車し、甲府駅に到着しました。ちなみに現在のダイヤ編成では新宿駅8時発特急は「あずさ5号」と呼ばれています。今回は一泊二日の旅程で、サントリー登美の丘ワイナリーと清里で、涼しい高原でのワイン&BBQとウォーキングを楽しんできました。
 サントリー登美の丘ワイナリーは山梨県甲斐市大垈(おおぬた)にあり、甲府駅から土・日・祝日限定の路線バスを利用すると約40分のところにあります。路線バスが登美の丘ワイナリーに近づくと、なんと道路がスイッチバックになっていました。登美の丘ワイナリーは100年を超える歴史があり、当時のトラックでは馬力が不足していたため、登美の丘の急な坂道を登れなかったということです。そのため道路をスイッチバックにして運行していたということで、現在もその時代のことを忘れないようにと、スイッチバックの部分を残しているということでした。バスの運転手さんは慣れたハンドルさばきでスイッチバックを通過していきました。
 登美の丘ワイナリーに到着してバスを降りると、そこは標高約500メートル。ワイナリーのテラスから甲府盆地を一望できる素晴らしい景色で、もし雲がなければ甲府盆地の向こうに富士山が高く聳えているということでした。予約したワイナリーガイドツアーの集合時刻にはまだ約1時間の余裕があるので、早速ワインテースティングをすることになりました。各自3種類を飲み比べました。その結果、夜のBBQのために購入するワインは、堀之内くんご希望の「にごりロゼ2013」、飛田くんご希望の「リースティング・フォルテ2013」、川島さんご希望の「ピノ・ロワール2012」に決まりました。ちなみに登美の丘ワイナリーでは2012年がワインの当たり年だったそうです。ワイン通は誰だったかな?
 ワイナリーガイドツアーでは最初に登美の丘ワイナリーの紹介ビデオが上映された後、バスに乗車して標高600メートルにあるワイン畑に移動しました。ワイン畑では緑色の小さな葡萄の実がついていました。登美の丘ワイナリーは標高が高いため一日の気温差が大きく、そのため糖度の高い良質な葡萄が育成できるということでした。9月に葡萄の実が成熟した頃合いを見計らって摘み取りを行い、新鮮なうちに窄汁するという説明でした。
 次に標高400メートルにあるワイン貯蔵庫(樽熟庫、瓶熟庫)を見学しました。ここは盛夏の外界とは別世界のひんやりとした空間でした。ワイン造りでは、まず葡萄を発酵させ、オーク材で作られた樽の中で数年をかけて熟成させます。樽の内側は炭化(charring)されており、ワインの香りと味わいが深まるということでした。その後、瓶詰めされ、さらに熟成を重ねて、出荷されます。
 そうそう、まもなく12時30分なので、水戸から参加の堂さんが登美の丘ワイナリーに到着する時刻です。ワイナリーガイドツアーのほうも最終段階、ワインのテースティングです。誰からとは言いませんが、テースティングは既に先ほど少しだけ(?)ながら済ませているので、ここは早々に切り上げてワインランチに移りたいという雰囲気がひしひしと感じられました。テースティング会場の出口で堂さんと合流し、ワイナリー付属のレストラン「ワインテラス」に急ぎました。
 このレストランからも大きな窓ガラス越しに甲府盆地を見渡すことができました。皆さん、お好みのワイン付きのランチ(2,000円+α)を注文しました。のんびりとしたお昼のひと時がゆっくりと流れていきました。そしてランチ後、先ほど決めていたBBQ用のワインを購入し、2時45分発の路線バスで甲府駅まで戻り、次に中央本線、小海線を経由して、初日の宿泊地である清里に向かいました。順調なローカル線の旅でしたが、小海線甲斐大泉駅を過ぎたところから俄かに雲行きが怪しくなりました。そしてすぐにバケツをひっくりかえしたような大雨が降りだしました。私たちはディーゼルカーの中で幸いでした。すると10分ぐらいで小降りになり、隣の清里駅では傘がいらないくらいに小降りになっていました。貸別荘「野わけ」からの迎えの車が清里駅到着時刻に合わせて来てくれていたので、そのまま乗車して濡れずに午後6時前には「野わけ」に到着することができました。
 まずはお風呂に入って今日の汗を流して、午後7時からBBQ開始です。BBQの準備は「野わけ」のほうで調えているので、取り立てて手間はかかりません。それでも女性陣がキッチンペーパーやラップなど、こまごまとしたものを用意してくれたので助かりました。もちろん飯村くん定番の”ピムス(PIMM'S)”のさっぱりした甘い香りも準備万端でした。さらに飛田くんが翌日7月21日に56歳の誕生日ということで、ケーキを「野わけ」に注文して用意してもらい、誕生会を開きました(写真下左)。
 BBQの肉、魚介、野菜、焼おにぎりを平らげ、登美の丘ワイナリーで購入した3本のワインを予想通りきっちり飲み干して、デザートのお誕生日ケーキに舌鼓を打った後は、トランプ大会です。メンバーはみなずっとトランプをしていなかったのでルールがうろ覚えな点が困りものでした。取りあえずルールが簡単な「七並べ」と「ババ抜き」を行いました。どちらも性格が表われやすいゲームです。誰が目立ったかは(秘)事項としておきましょう。トランプで大いに盛り上がりましたが、早朝からの移動に加え翌日の天女山ハイキングもあるので早めにお開きとし、午前0時前には、全員、ぐっすりと寝ついたようです。
 翌朝、高原の朝は早く、5時前に起きだした人もいたようです。しかし焼き立てのパンが有名な朝食は午前9時からのかなりゆっくりしたスタートでした。ふっくらしたパンと新鮮な野菜が主体の健康的な朝食で、素晴らしいスタートを切ることができました。ところが、出発間際、私の腕時計が見当たらず、慌ただしくしてしまいました。しかし、直ぐに堀米さんが見つけてくれ、助かりました。ありがとうございました。
 今回は「野わけ」のご厚意で清里駅に立ち寄っていただいて荷物をコインロッカーに預けられ、その後、「美しの森」駐車場まで送っていただけたので、時間的に助かりました。到着した「美しの森」の休憩所では清里名物のソフトクリームが売られており、早速、川島さん、堂さん、堀米さんは美味しそうに頬張っていました。
 「美しの森」とは、「斎(いつき)の森」が訛って伝わったということで、昔神々が集まってその年の掟を相談する慣わしがあった森ということです。その当時、近くの山に住む仕女が舞を奉仕した際、その仕女が舞う前に「天の河原」で身を清め、「羽衣の池」で舞衣を清めたということから、その地が「天女山」と呼ばれるようになったという言い伝えだそうです。
 堀米さんが売店で貰った案内図を片手に先頭に立って「美しの森」への急な階段を登り始めました。15分位階段が続き、汗だくになりながら頂上に到着しました。「美しの森 標高1,542メートル」という大きな碑が見えました。たしか天女山は1,529メートルなのでゴールのほうが低いことから、ここからは楽な尾根伝いのハイキング…と考えましたが、この考えは正しくはなかったようです。
 「美しの森」から仕女が羽衣を清めたという「羽衣の池」(標高1,618メートル)までは約30分の道のりでした。ここから赤岳への登山道があり、濡れた笹で覆われていました。そのとき丁度「羽衣の池」に降りてきた若者によると、早朝に赤岳から下山し始めて5時間ぐらいでここまで着いたということです。健脚ですね。
 ここからは天女山の方向に歩きます。途中に川俣川という川があるのですが、先ほどの「美しの森」休憩所の女性の話では、「水が多い時は靴を脱いで渡るかも…」ということでしたが、行ってみると状況がよく分かりました。川俣川に堰があり、正式なルートはその堰を渡って対岸を歩くのですが、対岸は崖崩れのため通行止めとなっていました。そのため暫定ルートが設置されており、標識に従って歩いていくと、川の中に大小の石を積んだ飛び石橋が作られ、そこを渡るようになっていました。確かに雨が降って水量が多かったら、ここを渡るのはかなり難しかったと思います。幸いにも石の高さの半ばほどの水量だったので全員が無事に渡りおえることができました。
 川俣川を過ぎて少し歩くと、県立八ヶ岳牧場の牧草地(標高1,460メートル)に入りました。牛たちが寛ぐ広大な牧草地の中に防護柵が作られ、ハイキングルートとなっていました。さらに30分ぐらい歩くと、小高く開けた「展望台」というところに到着しました。お昼を30分ほど過ぎていたので、ここで昼食をとることにしました。ちょうど居合わせたご夫婦に天女山までの時間を伺ったら、「大体40分かな?若い皆さんならばもっと早くつけるかも。」ということでした。
 お昼を済ませて力がよみがえり、最後の踏ん張りと天女山山頂を目指しました。牧草地には牛が移動するためのトンネルが設けられていました。その近くに牛用の水場があり、2頭の牛が水をたくさん飲んでいました。牧草地を抜けると林の中に入り、細かいアップダウンの繰り返しです。天女山山頂への林道を過ぎると急斜面になり、いよいよ山頂に近づいたことが分かりました。しかし最後の最後で、とてもきつい登りです。なんとか登りきり、天女山山頂に到着しました。飯村くんはシャツまで汗びっしょりになっていました。「天女山」と大きく書かれた石碑の前で記念写真を撮りました(写真下右)。
 残念ながら天女山の山頂からは木々が茂りすぎているので眺望は開けていません。時間の余裕があれば天女山山頂から15分ぐらいで到着する「天の河原」にも行けたのですが、帰りのバスの時刻が迫っていたので、天女山から「まきば公園」のほうに下山しました。天女山入口の交差点までは下り坂を一気に200メートルぐらい降りるので、なんと30分で到着しました。しかしそこから「まきば公園」まで、またまたすごい登りでした。1キロぐらいの道のりを30分弱で登り、なんとか「清里ピクニックバス」に乗車できました。後で調べてみると、少し距離は遠くなるものの「八ヶ岳倶楽部」というバス停を利用するとずっと下り坂でもう少し楽に歩くことができたということでした。まあ、自主トレですから少し急な坂のほうが趣旨に合っていたということにしておきましょう。
 清里ピクニックバスは甲斐大泉駅を経由して眺望のよい川俣川にかかる八ヶ岳大橋のビューポイントを通って清里駅に到着しました。清里駅では、ローカル線なので40分ぐらいの待ち時間があり、それを利用してお土産屋さんを見て回りました。そして清里駅発15時35分のワンマンカーに乗り、小淵沢駅で特急に乗り換え、新宿に向かいました。「清里ピクニックバス」のバス停まではちょっと時間に余裕がありませんでしたが、登美の丘ワイナリー、BBQ、美しの森から天女山までのハイキングと、ゆったりと自然を満喫できた楽しい自主トレになりました。

 

貸別荘でのBBQ&お誕生日ケーキ             天女山山頂   

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 葛西臨海公園BBQ編(平成26年8月24日開催)

場所: 葛西臨海公園バーベキュー広場
参加者:雨澤さん、石井くん(以上31組)、川島(旧姓:唯根)さん(34組)、
     小久保(35組)、飛田くん(37組)、大島くん、佐々木くん、堀之内くん(以上39組)
    合計8名
概要: 葛西臨海公園は、緑と水と人のふれあいをテーマに五つのゾーン(芝生広場、汐風の広場、水族園、鳥類園、そして、人工渚)を配して誕生した公園で、東京湾を臨んでおり、葛西海浜公園と隣接しています。昭和60年に開発が着手され、平成元年度にその一部がオープンしました。その後、平成6年には鳥類園ゾーン、平成7年には展望レストハウス「クリスタルビュー」、平成13年には観覧車がオープンして、現在に至っているということです。
 今回はこの葛西臨海公園のバーベキュー広場で“手ぶらでBBQ”を楽しみました。しかし手ぶらとは言え、準備されているのはBBQの材料と機材だけなので、お酒やソフトドリンク類は分担して購入してもらいました。佐々木くんはスパークリングワイン、川島さんはご主人の実家に帰省された折に購入した北海道ワインを持ってきてくれました。近くに住む大島くんはソフトドリンクと氷とクーラーボックスを用意してくれました。そうそう、佐々木くんは葡萄も買ってきてくれました。
 私が午後4時過ぎに京葉線葛西臨海公園駅で降りると、日曜日の午後のひとときを既に公園で過ごした家族連れがお家に帰るために三々五々と駅に向けて歩いていました。私たちのBBQは午後5時開始です。家族連れとすれ違いながら海からの心地良い風に吹かれると、昼間の暑さを忘れることができました。駅から歩いて10分ぐらいのところにあるBBQ受付でレンタル機材の手続きを行ってからBBQサイトのテーブルで待っていると、ひとり、また、ひとり、駅でたまたま出くわしてふたりと、8名の参加者が揃いだしました。まだ定刻前ですが、早めに来た大島くんはもうビールを飲みだしています。そして下左の写真のように午後5時までに全員集合し、BBQの準備を開始しました。
 自薦の焼き担当の飛田くんと大島くんが着火剤で炭を熾そうとしていると、たまたま近くを通りかかった係りの方が、「炭を井桁状に積んでから着火剤に火をつけるのが簡単です」と言いながら、実際に手際よく火を熾してくれました。親切な係員の方、ありがとうございました。そして二人はお肉や野菜を几帳面に綺麗に並べてから美味しく焼いてくれました。
 BBQをスタートしてからあっという間に2時間が過ぎ、色々なおしゃべりの花が咲いたのですが、残念ながら細かいことは覚えていません。途中で日も暮れ、〆は堀之内くんによる「ためしてガッテン」流の焼きそばです。いつものように美味しく焼き上げてくれました。そしてデザートに佐々木くんが買ってきてくれた葡萄を食べると、7時半ごろになっていました。終了刻限の8時までにはBBQの機材の返却やごみの整理を手分けして完了。そしてみんなで葛西臨海公園駅に向かう途中、観覧車がとても綺麗に電飾されていたので、観覧車を背景に記念写真を撮りました。雨の多かった今夏ですが、楽しい思い出になりました。

 

     BBQ準備開始!             綺麗にライトアップされた観覧車

【撮影・報告:佐々木くん(39組)、小久保(35組)】

● 土浦編(平成26年9月21日開催)

コース:土浦駅東口=(霞ヶ浦ダックツアー)=土浦駅東口~中台(昼食)~霞ヶ浦総合公園~
    桜川堤防道路~土浦駅西口=(バス)=筑波大学第二エリア前~筑波大学~
    TXつくば駅=流山おおたかの森(打ち上げ) 合計12キロ
参加者:松浦くん(31組)、島田くん(33組)、小久保(35組)、飛田くん(37組)、
     堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、飯村くん、堀之内くん(以上39組)       
     打ち上げから参加:雨澤さん(31組)、川島(旧姓:唯根)さん(以上34組)、合計9名
概要: 今回は飛田くんから出された「ダックツアー」乗船提案をもとにした企画です。何でも「磯山さやかの旬刊!いばらき『霞ヶ浦ダックツアー』(平成26年6月27日放送)」というビデオがYouTubeに掲載されていて、それを観てみんなで乗船したくなったということです。
 土浦駅に10時30分に集合し、土浦駅東口にある観光物産案内所「きらら館」内のカウンターで乗船手続きを行いました。今回乗船するダックツアーは水陸両用車を利用しますが、運転免許は陸上用と水上用とそれぞれのものが必要ということで、運転手さんと船長さんをそれぞれ別の方が担当していました。定刻の10時50分、「船が出るぞ~~~~!」と女船頭さん、いや、バスガイドさんに出発前に何度も練習させられた掛け声を合図に、バスはゴーというエンジン音をあげて動き出しました。このツアーの所要時間は50分で、前半は土浦市内の観光スポットを車窓から見学し、後半は霞ヶ浦のラクスマリーナで待っている船長さんと交代して湖上クルーズを楽しむコースとなっています。
 まず土浦駅から西に向かい、土浦ニューウェイ(土浦高架道)の下を走って茨城百景の一つ「亀城公園」の一角をぐるりと回るように走り、いったん土浦駅の方向に戻り、次に神立駅方面に少し走ってから常磐線を潜り、霞ヶ浦までを観光しました。バスガイドさんによると、船舶の大きさに関する法規制のためにダックツアーのバスには窓ガラスが入れられず、オープンな座席です。風と一緒の周遊なので夏はさぞ快適でしょう。今回は9月の開催でよかった。10月を過ぎていたら、これは寒そう…。
 約20分でバスは霞ケ浦湖畔のラクスマリーナ内に入り、ここで運転手さんは船長さんと交代です。船に変わると座席のシートベルトを外さないといけません。これは水上の掟です。マリーナから湖に入るためのアプローチを下って、ザブ~ンと一気に水の中にダイブしていきました。湖上ではゆっくり移動です。後ろから高速船が追い抜いていきましたが、それが作った波を横から受けるとゆらゆらと揺れだします。まあ、こちらは小さいので致し方ないでしょう。右手遠くに、午後にウォーキングで目指す「霞ヶ浦総合公園」のシンボルとなっている風車が小さく見えました。
 短いながらも楽しい湖上クルーズを終えて、先ほどのマリーナから陸上に戻るため、さっきは下ったアプローチを登ります。まだタイヤは水中なので十分に接地できていないため、スクリューの力だけでぐいぐいと登っていきました。たまにタイヤとスクリューとの切り替えがうまくいかず立ち往生ということもあるとのことですが、女船頭さん、いやバスガイドさんが先導して「よいしょ、よいしょ」という掛け声をみんなで掛けて、なんとか上陸することができました。すると先ほどのバスの運転手さんが待っており、再び運転者交代です。さて下船した船長さんはどうするのかとバスから眺めていると、マリーナのほうに自転車で走って行き、マリーナの出口で手を振って見送ってくれました。
 上陸から数分で土浦駅東口に到着し、ダックツアーのバスの前で記念写真(写真下左)を撮りました。気が付けば間もなく12時、お昼の時間です。今日の昼食は飛田くんが探してくれた「中台」という洋食屋さんです。なんでも土浦カレーフェスティバル(C-1グランプリ)優勝のお店だそうです。レンコンの入った「幻の飯村牛とレンコンのキーマカレー」を食べました。さすがにグランプリをとるだけのことはあるようですが、お店の手際が悪いのか、かなり待たされた印象も残りました。
 午後のコースでは、昔、土浦駅から阿見までを結んでいた常南電気鉄道の廃線跡(国道125号線)をたどって霞ヶ浦総合公園へ、そして霞ケ浦湖畔を桜川方向に散策して、桜川堤防道路を土浦駅方面に戻ります。1938年に廃止となった常南電気鉄道の終点の阿見駅近くには霞ヶ浦航空隊飛行予科練習部(予科練)があり、現在は「予科練平和祈念館」となっています。
 昼食をとった「中台」を出たところで島田くんは体調がすぐれないということで午後のウォーキングは避けて帰宅されることになりました。ここからは6名です。お店から南の方向にある桜川まで歩くと「匂(におい)橋」という古い橋がありました。この橋が一都六県をぐるりと一周する長距離自然歩道「関東ふれあいの道」の「学園都市のみち」と「予科練ゆかりのみち」の接続点です。また、この匂橋は、土浦桜まつりの「竹灯篭のゆうべ」の場所としても有名だそうです。
 匂橋を渡り、桜川沿いに下り、国道125号線に到着しました。125号線沿いに歩き備前川を渡ると、富士崎という地名があり、ここから常南電気鉄道廃線跡です。少し歩くと線路跡は常磐線の下を潜っていました。このあたりの道は片道1車線ですが、電車の軌道が通っていたため道幅がちょっと広めという感じです。最後にゆっくりと右にカーブして霞ヶ浦総合公園入口に到着しました。
 ここを左に曲がり霞ヶ浦文化体育会館を過ぎると霞ヶ浦が近くに見えてきました。外周道路には工事中の柵が設置されていたため、霞ヶ浦総合公園の中がよく見えなかったのは残念でした。湖畔の道路に交わるところで左折して桜川方向に歩くと、湖上から眺めた風車が見えてきました。公園のシンボルとなっているこの風車は,土浦市市制施行50周年を記念して建てられたということでした。午後の歩行開始からだいたい一時間経過したので、ここで小休憩を取りました。風車の近くには水生植物園があり、沢山の種類のハスが栽培されていました。
 ひと休みした後、湖畔をさらに散策し、国民宿舎「水郷」脇を通り、桜川のほうに向かいました。この桜川堤防道路は桜並木で有名です。しかし道幅が狭いわりには交通量が多く、歩きにくい道でした。堤防には桜の木の根元に彼岸花がそっと咲いていました。それを見つつ歩いていくと、ほどなく土浦駅が見えてきました。
 次のコースは筑波大学構内の散策です。土浦駅西口バスターミナルからつくばセンター方面のバスが出ており、終点の筑波大学中央まで乗車する予定でした。15時20分発のバスに乗り込み、約40分のバスの旅です。「つくばセンター」「大学病院入口」と過ぎ、終点の「筑波大学中央」の一つ手前のバス停に来たところで、筑波大学構内の案内人の堀米さんが突然「降りる。」と言い出し、みんなはばたばたとその後についてバスを降りました。後でそのことを確認すると、手前のバス停のほうが近いだろうと考えたということです。しかし、実際の地図では一つ手前のバス停「第二エリア前」のほうが筑波大学の奥にあたるということで、やや「?」という感じがしましたが、自主トレのルールには「案内人が進む道が正しいコース」という鉄則がありますので、従順に歩くのみです。
 筑波大学は南北に細長くエリアが割り当てられており、それぞれのエリアは散策路のような小道でつなげられています。道脇の植栽も綺麗に施されており、まるで公園を歩いているようでした。ただし建物間の間隔が広いので、堀米さんによると在学中は「自転車が必須アイテムだった」ということです。第一エリアにある池のほとりでは、学生たちが「つくばフォーク村」というサークルのイベントを行っていました。堀米さんと松浦くんは立ち止まってちょっと聴いていたようですが、先頭のメンバーはそれに気付くことができず、そのまま進んでしまったので、2人は後から慌てて追いつくことになりました。
 バスを降りてから約40分でTXつくば駅に到着しました。4キロはなかったと思いますが、かなりの速足だったと思います。次につくば駅から「流山おおたかの森」駅まで電車で移動しました。その間に堀米さんが川島さん、松浦くんが雨澤さんを誘い、流山おおたかの森で合流することになりました。流山おおたかの森駅の到着からレストランの予約時間までには少し余裕があったので、堀米さんが9月に開院した「おおたかの森こどもクリニック」を見学させてもらいました。駅から2,3分、ショッピングセンタに面した便利なロケーションにクリニックはあります。まるで幼稚園かと思うような可愛い飾りつけの待合室や診察室です。開院、おめでとうございます!
 そして打ち上げは、堀米さんのクリニックに隣接したショッピングセンタ内のイタリアン・スイーツの「トラットリア パラディーゾ」(写真下右)で行いました。こちらも堀米さんが選んでくれたお店です。この店のおすすめは10種類のワインを中心とした飲み放題ということです。イタリア料理に堪能し、飲み放題の時間をきっちり使い切り、7時30分にお開きとなりました。

 

     霞ヶ浦ダックツアー        「トラットリア パラディーゾ」での打ち上げ

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 筑波山リベンジ編(平成26年11月30日開催)

コース:TXつくば駅=(つくバス)=筑波山口~臼井~筑波山神社一の鳥居~ 旧筑波山郵便局~
    筑波山神社(昼食)~男女川上流域~御幸ヶ原~男体山~ 女体山=(ロープウェイ)=
    つつじヶ丘=(筑波山シャトルバス)=沼田~ 稲葉酒造場~筑波山口=(つくバス)=
    TXつくば駅(打ち上げ:月の宴) 合計12キロ
参加者:小久保(35組)、飛田くん(37組)、堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、 飯村くん、
    堀之内くん(以上39組) 打ち上げから参加:雨澤さん(31組)、合計6名
概要:  4年前の平成22年4月に筑波山で開催した自主トレは、堀之内くんが二日酔いで途中離脱という残念な結果となってしまいました。そのとき体調不良の堀之内くんを介護するため、筑波山登山を途中で止めた松浦くん(31組)がリベンジ編開催を希望しているという話が飛田くんから届きました。そこで今回は自主トレとして2度目の筑波山登山です。しかし残念なことに、松浦くんは突然のお仕事ということで不参加となってしまいました。暫くしたら3回目の筑波山登山の開催も検討しましょう。
 前回は、筑波山神社から御幸ヶ原、男体山、女体山、つつじヶ丘を経て、筑波山神社に戻るルートでした。今回は少しコースを変えて、旧筑波鉄道の筑波駅(現在は地元コミュニティバス“つくバス”の終点「筑波山口」)から、昔からの参詣道である「つくば道」を通り、筑波山神社の一の鳥居を潜ってから筑波山を登るという形にしました。「つくば道」とは、筑波山麓の「北条」という地から筑波山神社につながる参拝道として江戸時代から賑わっていた街道です。ちなみに北条には高さ3mを超える「これよりつくば道」という大きな碑が立っています。北条から筑波山神社までのコースは、東京知道会が平成26年10月25日に開催した歩く会のコースでした。
 午前9時50分にTXつくば駅改札出口に全員が集合し、3番乗り場から10時発の「つくバス北部シャトル」に乗車しました。北部シャトルは筑波大学のそばを通る「学園東大通り」を北に向かい、筑波地域交流センターを経由して、筑波山口まで運行されています。つくば道の起点となる北条から近い筑波地域交流センターのバス停では、先輩らしきイケメン学生が後輩と思われるかわいい女子大生を3人引き連れ、つくば道を最初から歩くということで下車していきました。彼女たちは「頂上でお会いしましょう」と元気に歩き出していきました。若いですね。もちろん私たちは次のバス停(5キロ先)の「筑波山口」から山頂を目指します。
 「筑波山口」に向けて筑波地域交流センターを発車してしばらくすると、突然バスが路肩に停車しました。どうも先ほどのバス停を乗り過ごしてしまった若者がいたようで、運転手さんに厳しく叱責されながらも、最後はなんとか降ろしてもらえたようです。次のバス停は5キロ先ですので、降ろしてもらえてよかったですね。真壁に向かう県道から右に折れ、沼田というところに入っていくと、バスが数台止まれる広さの駐車場が見えました。どうやら終点の筑波山口に到着したようです。
 1987年に廃止された筑波鉄道は、2002年に“つくばりんりんロード”として整備されました。旧筑波駅のホームはそのままの形で残されており、サイクリスト等のための休憩所になっています。私たちは身支度を整えてから、今から登る筑波山を背景にプラットフォームで記念写真(写真下左)を撮影しました。
 高校時代に私は筑波駅から筑波山神社を経由して筑波山に登った記憶があります。しかし、それから40年近く過ぎており、筑波鉄道も廃線となっているので駅前の雰囲気は思い出すこともできません。旧筑波駅から東の方向に田圃道を歩き、暫くすると、「鮏(魚偏に生)川」という姓のお家を見かけるようになりました。堀米さんが地元の方に聞いてくれたところ、「鮏川」は(すけがわ)とお読みするということが判りました。堀之内くんの解説によると「鮏」は「鮭」と同じ意味で昔は鮭がこの辺まで遡上していたのだろうということでした。
 さらに歩き、「臼井」というところで左に曲がり、「つくば道」と合流しました。ここからはかなりの急坂になりました。坂道に負けないように一歩、一歩、踏みしめながら歩きました。筑波山神社の一の鳥居を過ぎると、さらに道は急になりました。側溝には水が勢いよく流れていました。この地は水が豊富なのでしょう。しばらく歩くと手打ち蕎麦屋さん(ゐ田)もありました。
 すると堀之内くんの様子が変わってきました。まるであえぎながら登っているようです。堀米さんがサポート役として一緒に歩きましたが、だんだん歩みが遅くなってきました。道は旧筑波山神社郵便局のところで石段になり、その石段を登りきると「つくば道」の道標が建っていました。時間はかかりましたが、なんとか堀之内くんも登り切ることができました。どうやら堀之内くんは昨晩も飲み過ぎたということで体調不良ということでした。そのため筑波山神社からはケーブルカーで登り、先に到着して御幸ヶ原で他のメンバーを待つということになりました。
 筑波山神社前のお土産屋さんで昼食休憩をとり、筑波山神社を参拝してから、ケーブルカー沿いの最も急なコースに挑みます。筑波山は麓からの標高差が大きく、傾斜もキツイことで有名です。ケーブルカーの行路の中間点で小休止を取ると、頭上にケーブルカーのすれ違いを見ることができました。さらにケーブルカーのトンネルを越えたところには「男女川(みなのがわ)」の上流域がありました。ここからは御幸ヶ原まであとひと登りです。
 しかし今度は飛田くんのペースがかなりダウンしました。前日のゴルフの疲労でしょうか?さらに頂上に近づくと飯村くんもペースが落ちてきたようです。最後は堀米さんが先頭をひっぱることになりました。パンフレットに記載された行程では登り90分となっていましたが、私たちの年齢的には60~70分で登れると想定していました。しかし、結局、地図と同じ90分もかかってしまいました。
 御幸ヶ原ではケーブルカーで登った堀之内くんが待っていました。一時間ぐらい待つ間に御幸ヶ原の近くにある男女川の源流を訪ねてきたということで、二日酔いが少しよくなってきたようでした。ここで小休止し、次に歩いて15分ぐらいの男体山に登りました。さらに尾根伝いに女体山に向かいました。しかしいずれの山頂も雲の中、残念ながら筑波山からの見事な眺望は見ることができませんでした。それでは今回の第2の目的、稲葉酒造場に急ぎましょう。女体山からロープウェイでつつじヶ丘に下山しました。しかし3時のバスはタッチの差で発車してしまった後で、次の3時30分発を待つことになりました。
 稲葉酒造場は沼田というバス停から歩いて10分ぐらいのところにあります。登るときに通った筑波山口から臼井への道沿いにあるのですが、利き酒は山登りの後にしてほしいという強い要望があり、往路と同じ道を歩くことになりました。時刻はまもなく4時を過ぎる頃なので暗くなりだしていました。稲葉酒造場は通りから100メートルぐらい入ったところにあり、夕闇のなかに灯りが見えました。灯りがともっている売店に入って利き酒できますかと女将さん風の方に尋ねると、潜戸を抜けた奥にある蔵の中のレストランに案内されました。幸いにも今は新酒の季節ということで、特別に2種類のにごり酒と純米吟醸の利き酒ができました(写真下右)。
 甘いフルーティな味わいのにごり酒ですが、実はアルコール度数は高いのです。今回は利き酒ですので飲みすぎる心配はありませんけれど・・・。ぐい吞み3杯をゆっくりと楽しんだ後、売店で思い思いのお酒を購入しました。すると、女将さん(ではなく本当は蔵元さん)から、「新酒で作った甘酒は如何ですか」と暖かい甘酒をいただきました。腰を上げた頃には到着から小一時間経っており、あたりはもう真っ暗になっていました。ほろ酔い気分で稲葉酒造場を後にして、暗く静かな道を筑波山口のバス停まで歩き、「つくバス」に乗車しました。
 バスがTXつくば駅に午後6時ごろ到着すると、ちょうど着いたばかりの雨澤さんと駅のロータリーで合流することができました。そして地元の飯村くんが選んでくれた、駅に隣接する「つくばクレオスクエア」内にある「月の宴」で打ち上げを行いました。今回は堀之内くんと松浦くんのリベンジ企画として筑波山登山を行いましたが、お二人とも登山完遂は果たせず、次回以降に再々チャレンジという結果となりました。また男性陣の体力の衰えも心配事項です。これからは自主トレに参加するためのトレーニングが必要になるかもしれませんね。 

 

 旧筑波駅ホームと目指す筑波山       稲葉酒造場にて男女川の利き酒

【撮影・報告:小久保(35組)】

● 給食当番編(平成26年12月23日開催)

コース:「給食当番」@御徒町~樋口一葉旧居~こんにゃく閻魔~指ヶ谷小学校~沢蔵司稲荷~
    伝通院~牛天神~小石川後楽園~飯田橋駅=(地下鉄)=表参道駅 合計14キロ
    打ち上げ:カフェラントマン@表参道
参加者: 雨澤さん、松浦くん(以上31組)、片岡くん(32組)、堂(旧姓飛田)さん(33組)、
    汀くん、川島(旧姓唯根)さん(以上34組)、大森くん、小久保(以上35組)、
    飛田くん(37組)、堀米(旧姓坂本)さん(38組)、佐々木くん、大島くん、飯村くん、
    堀之内くん(以上39組)。
    合計14名 (忘年会からの参加は、雨澤さん、汀くん、大森くん)
概要: 今回の自主トレは「ウォーキング+忘年会」で、大森くん(35組)が初参加です。石井くん(31組)からは参加連絡を頂いていましたが、残念ながらお仕事のため急遽欠席となってしまいました。堂さんと片岡くんは水戸から参加してくれました。
 今回の当初の計画では集合場所の御徒町から忘年会を行う表参道までがウォーキングの予定でした。しかし、昼食の「給食当番」で満腹になって歩みが遅くなったためか、思ったよりも時間がかかりました。さらに冬の日暮れは早かったので、途中の飯田橋駅から地下鉄で表参道駅まで移動して忘年会を行いました。
 まずウォ-キング参加者は12時ごろに新御徒町駅の近くにある「給食当番」に集合し、小学校の教室を模した店内で、現代風にアレンジしていながらも懐かしい献立の給食を食べました。当日の献立は、あげぱん(さとう、ココア、きなこ、シナモン、カフェラテから一種類を選択)・ソフトめん・ミートソース・カレーシチュー・肉だんごスープ・春雨サラダ・くじらの竜田揚げ・ミルメーク牛乳(コーヒー、ココア、イチゴ、バナナ、抹茶キナコ、キャラメルから一種類を選択)でした。全ての献立が揃ってから、給食のおばさん姿の若い店員さんの声に合わせて「いただきます」。ようやく食べ始めることができました。
 「昔、クジラはこんなに柔らかくなかったよ」、「カレーとミートソースはどちらかしか出なかったはず」、「このあげぱんは甘すぎだよ」、「休んだ子にはパンなどを届けていたね」という思い出や、「???(伏せ文字)には給食あったっけか?」という地域対抗心を燃やした発言もありました。一時間弱でしたが、ゆっくりと美味しい給食を食べることができました。ここの給食は自分たちが小学校の時よりもボリュームがあり、食べ応えがありました。それでも全員完食かと思いきや、少し残した方がいるようでした。食べ残すと、先生に叱られるよ。
 「給食当番」のお店の前で記念写真(写真下左)を撮り、いざ、出発!
 まずは日曜日で賑わうアメ横を右手に眺めながら春日通りを歩きました。ところで川島さんは、最近、膝を怪我してしまったため、まだ長い距離は歩けないということでした。そのため残念ながら御徒町駅から別行動となりました。もちろん忘年会には再び合流してくれました。川島さんといったんお別れし、さらに春日通りをしばらく歩いて真砂坂上という交差点で右に折れ、狭い路地に入りました。そして路地沿いにある「文京ふるさと歴史館」に入館しました。この施設は、文京区、特に森鴎外や樋口一葉など著名な文人たちの活動拠点となっていたこの地の歴史を展示しています。また文京区ではボランティアの方々が無料ガイドツアーを実施しています。今回のルートは、以前、ボランティアの方に案内していただいたコースを元に作成しました。
 その時の記憶をもとにコースを事前に作成したのですが、「樋口一葉旧居跡」の正確な位置はWEBでは見つけられていませんでした。きっと「文京ふるさと歴史館」の受付の女性ならばご存じだろうと尋ねてみましたが、「残念ながら、樋口一葉旧居跡の場所は案内図などには一切記載しておりません。」という返答でした。「炭団(たどん)坂を過ぎたあたりにありますので探してください。」と付け加えながら、「場所に印は記載されていませんが」とこの周辺が詳しく記載された地図を親切に渡してくれました。帰宅した後で樋口一葉旧居跡を掲載した文京区のホームページを確認し直すと、「(注意)史跡・旧居跡周辺の散策は、住民の方々の迷惑にならないように、ご配慮をお願いします。」と記載されていました。静かな住宅街なので、観光客が配慮なく押し掛けると騒音などで住環境に良くないようです。
 文京区の歴史を俄か仕込みしてから「文京ふるさと歴史館」を後にし、先ほど歩いた路地をまっすぐ進むと、炭団坂の石段が見えました。先ほどの受付嬢によると樋口一葉旧居跡はこの坂を降り切ったところにあるという話でしたので、周辺の状況をよ~~く見ながら進みました。しかし、なかなか見つけることができません。もう諦めようかという頃、堀米さんが「もう少し歩いた左側の路地らしい」という情報を仕入れてくれたので、その言葉通りに路地を入っていくと、有名な井戸と石段が見えました。樋口一葉はこの場所で10年ぐらい活動したということです。
 次に向かったのは「こんにゃく閻魔」です。こんにゃく閻魔というと、いぶかしい(?)と思われる方がいるかもしれませんが、ちゃんとしたお寺です。山号・寺号は「常光山 源覚寺」。江戸時代に眼の悪いおばあさんが祈願したところ、満願の日におばあさんの眼が治癒した代わりに閻魔さまの左眼が無くなっていたということです。そのおばあさんは閻魔さまへのお礼として、自分の好物である「こんにゃく」を絶ってお供えしたという謂れがあり、眼病治癒の閻魔さまと呼ばれるようになったということです。最近、私も遠くも近くも見えにくくなっているので、しっかりと拝んできました。
 ここで堀米さんからいつもの“突然の要望”が出されました。なんと小学校低学年の頃に東京に住んでいたということで、当時通っていた小学校に是非とも行ってみたいということでした。直ぐにGoogleマップでその小学校の位置を確認すると、こんにゃく閻魔から数百メートルという位置だったので、次の目的地である沢蔵司(たくぞうす)稲荷に行く途中で寄り道することにしました。こんにゃく閻魔から北方向に歩き、「柳町小学校」の脇を通り過ぎるとかなり狭い道となりました。Googleマップによると、ここから堀米さんの母校である「指ヶ谷(さしがや)小学校」に直接つながる道はなさそうでした。そこで堀米さんと私はいったん春日通りに出てから迂回する道を選びました。他のメンバーはスマホの地図機能頼りに歩き、私たちとは違う道を選んだようです。春日通りを歩いていると、堀米さんが「あそこの斜めに入る道に記憶がある」ということで、その道を行くと目的の「指ヶ谷小学校」のグラウンドが見えました。都会の小学校のグラウンドはこんなに狭いのですね。思い出の地で堀米さんの写真を撮ってから、小学校の正門へ移動しました。正門を背景に堀米さんを撮っていると、ようやく他のメンバーも到着しました。どうやら指ヶ谷小学校の反対側の少し小高くなっている道を遠回りして来たということです。やはりスマホよりも人間の記憶のほうが信頼できるようです。
 指ヶ谷小学校から元の道に戻り、少し急な坂を登ると沢蔵司稲荷(滋眼院)に到着しました。縁起によると、1618年に沢蔵司という優秀な青年が伝通院(徳川家康ご生母の菩提寺)の学寮(修行場)に入門し、修行をして、わずか3年余りで浄土教の奥義を修得されたということです。修得後、学寮長の夢枕に立ち、自分は太田道灌公が千代田城内に勧請した稲荷大明神の化身であると宣し、このお言葉からこの地に沢蔵司稲荷が建立されたということです。ちなみに、沢蔵司は大の蕎麦好きだったということで、現在でも、近くの稲荷蕎麦「萬盛」というお店から、その日の初茹でのお蕎麦が朱塗りの箱に収められて奉納されているということです。今回は食べることはできませんでしたが、油揚げを添えた「箱そば」、次に訪れた時には試してみたいと思います。
 沢蔵司稲荷を後にして伝通院のほうに歩くと、なんと江戸時代から残っている「善光寺坂のムクノキ」がありました。江戸名所図会「無量山境内大絵図」でも描かれており、当時からの観光ポイントのような木だったようです。残念ながら空襲の被害にあい、現在は幹の3分の1が残っているだけということでした。
 次の目的地は伝通院。徳川家康公のご生母である「於大(おだい)の方」は、家康公が幼少の時に離縁させられ、実家である水野家に戻されてしまいました。その後、久松俊勝公に再嫁しましたが、家康公との間の交流は続いていたということです。於大の方は久松俊勝公の死後、伝通院と号し、家康公の天下統一後の1602年に伏見で逝去されました。家康公により小石川にある伝通院が於大の方の菩提寺とされ、その後、天樹院(豊臣秀頼の妻であった千姫)や本理院(徳川家光の正室、旧名:鷹司孝子)など徳川家ゆかりの方々の墓所となっているということです。於大の方や千姫のお墓を静かに参拝させていただきました。
 伝通院を後にして牛天神と呼ばれる北野神社に向かって歩きだしました。伝通院前の交差点で信号待ちをしていると、松浦くんが「浪越徳治郎の指圧の碑があった」と、早足で追いついてきました。そう言えば以前のガイドツアーに参加した時に、日本で唯一の指圧専門学校「浪越学園 日本指圧専門学校」を伝通院門前に設立したという説明を聞いた記憶がありました。懐かしい「指圧の心…」、うっかり忘れていました。
 伝通院前の広い参道を下り、次は急な石段を登ると牛天神に到着しました。ここは源頼朝が奥州東征の途中で休まれた時、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れて「願いが叶う」と告げられた際にあったという「願い牛」(牛の形をした自然石)で有名ですが、最近では、鳥居の中央に朝日が差し込むということで新しいパワースポットになっているようです。牛天神をお参りし、先ほどの石段を降りて後楽園のほうに歩くと、子供たちが野球の閉会式を行っている後楽公園のところにでました。まもなく3時半、日暮れには一時間余りがありますが、すでに薄暗くなっており、これ以上のウォーキングには適していないようです。そのため次の目的地は、片岡くんのたっての希望である小石川後楽園の散策としました。小石川後楽園は水戸徳川家の祖である頼房が江戸上屋敷の庭園として造ったもので、二代藩主・光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、中国の教え「岳陽楼記(がくようろうき)」の「(士はまさに)天下の憂(うれい)に先だって憂い、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」から「後楽園」と名づけました。「乗り換え案内」によれば後楽園から表参道駅までは地下鉄利用で30分程度なので、4時30分まで園内をゆっくりと散策できます。そこで、ゆっくり見て回れるように自由行動としました。大島くんは後楽園をよく利用するということで、まっすぐに涵徳亭(かんとくてい)というお休み処に行ってしまいました。今回は園内の一部が工事中だったため、大泉水の中に仮設通路が作られており、いつもとは違った角度から風景を楽しむことができました。堀米さん、堀之内くん、飯村くんのグループは早足で回ったのか15分ぐらいで園内を一周してしまったということで、1時間ももたないと言っていました。
 私はひとりで園内の清水観音堂跡や得仁堂の周りを散策した後、大泉水をぐるっと回って、東門のほうまで足を延ばしました。途中、堂さんと佐々木くんと合流して、入口正面のしだれ桜のところに戻ってきました。集合時刻の4時30分までにはまだ少し時間があり、また夕暮れで寒くなってきたので、涵徳亭にいる大島くんのところで休憩することにしました。暖かいお汁粉を頼んで待っていると、涵徳亭の窓越しに私たちが休憩しているのを見つけたのか、だんだんと皆さんが集まってきました。そして、堀之内くん、片岡くん、松浦くん、飛田くん、飯村くんのテーブルではビールや日本酒を注文し、まるで忘年会の予行演習のようになりました。
 後楽園を後にして、飯田橋駅から地下鉄を利用して表参道駅に移動し、表参道駅傍のAO(アオ)ビル4Fにあるカフェラントマンに5時過ぎに到着しました。川島さんは膝痛のため歩くのが大変だったということで、AOビル内で時間をつぶしていたということでした。また忘年会に初参加の大森くんは品川駅で事故があったため、少し遅れて到着しました。大森くんの到着から間もなく雨澤さんも到着しましたが、汀くんはまだ姿が見えません。案じていると、今回の幹事の飯村くんと私のところにメールが届き、電車に忘れ物をしたので取りに行くために遅れるとありましたので、忘年会を始めました。この青山のカフェラントマンは、ウィーン本店の伝統あるウィーン料理や店内の雰囲気をそのままに再現した海外第1号店だそうです。とてもお洒落なお店なので、席を立って写真を撮ったりすることは避けてほしいということで全員の集合写真はありません。写真下右は、汀くんも到着し、佐々木くんが座ったままで手を大きく伸ばして撮影してくれた写真です。残念ながら全員は写っていませんが、ご容赦ください。集合写真は撮れませんでしたが楽しい会話と美味しい料理やワインなどで2時間の宴会時間はあっという間に過ぎていきました。

 

 給食当番                  カフェラントマン

【撮影:佐々木くん(39組) 報告:小久保(35組)】