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第6回「復活・歩く会」合同自主トレ総集編

【イベント報告】掲載:平成25年1月13日

 第6回「復活・歩く会」に向けた自主トレを開催しております。ベトナムから帰国したメタボ代表、メタボ解消希望の皆さん、メタボとは縁がないけど健康に留意したい皆さんの参加をお待ちしております。

● 熱海編(平成24年1月8〜9日開催)

コース:(1月8日) 熱海駅〜来宮神社〜丹名トンネル殉職碑〜熱海梅園〜起雲閣〜お宮の松
     〜熱海駅=<送迎バス>=山の上ホテル(泊)
     (1月9日) 山の上ホテル=<送迎バス>=熱海駅=<伊東線>=宇佐美駅=<送迎バス>
     =菊間みかん園=<送迎バス>=宇佐美駅=<伊東線>=熱海駅〜伊豆山神社
     =<路線バス>=熱海駅
参加者:川島(旧姓:唯根)さん、柴田さん(以上34組)、堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、
      佐々木くん、堀之内くん(以上39組)、小久保(35組)、修 (計7名)
概要: お正月、ノンビリついでに、ちょっと足を延ばして、熱海温泉への一泊旅行。確か、2006年の湯河原温泉以来の温泉旅行です。前回の温泉旅行は、私はアメリカ滞在中だったため不参加でしたが、大いに盛り上がったことを示すメールが、メーリングリストで飛び交っていたような記憶があります。
 東京駅に柴田さんを除く6人が定刻通り集合し、8時36分発熱海行きに乗車。柴田さんはホテルからの参加です。同じ列車には同窓会と思しき一団、約20名がもう陣取っており、クロスシートには座れませんでした。そのため残念ながらロングシートに座ることになりました。今回の自主トレでは、初日は熱海駅を起点に市内散策、二日目は宇佐美駅近くでミカン狩りと伊豆山神社への参拝を予定しています。
 東京から熱海までの約2時間の電車の旅すがら、川島さんと堀米さんはお喋りに花を咲かせ、修は早朝の5時台に起きたため鼾をかいて熟睡でした。しかし、あっという間に目的地・熱海駅に到着してしまったようです。それでは早速、熱海駅で荷物をコインロッカーに預けて、いよいよ自主トレ開始です。
 まず、熱海駅から伊東線・来宮駅方面に向かいます。干物などを商う海産物屋さんがたくさん建ち並ぶ「平和通り商店街」を抜け、さらに進むと咲見町。ここには「熱海七湯」の一つである「野中の湯」がありました。「野中の湯」は昔、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれている野中山のふもとの湯です。現在は中高齢者専用分譲マンションの入口に位置しています(写真下左)
 次に訪れたのは、江戸の初め、徳川家康が3代将軍・家光の温泉療養に際して建立したと伝わる熱海藤森稲荷神社。真っ赤な奉納旗が並ぶ狭い階段の参道を登っていくと、小さいながら立派なお社がありました。藤森稲荷を後にして、来宮駅のガードを潜ると、約1300年前からこの地を守護している「来宮神社」が見えてきました。ここはパワースポットとしても有名で、「幹を1周廻ると寿命が1年延命する伝説」の大楠があります。みんなで一周しましたので、それぞれ寿命が一年延びたことでしょう。
 来宮神社から熱海梅園までは緩やかな登り坂。東海道線を越えるところに「丹名神社」という表示があり、坑門の真上に、丹那トンネル工事の犠牲者全67名の殉職碑が建立されていました。丹那トンネルは、地質が分かっていない所へ遮二無二トンネルを掘ろうとした結果、大量湧水や崩落などのため、予定工期の倍以上かかる難工事となってしまったようです。当時の苦労を偲びつつ、慰霊碑と神社にお参りし、梅園に向かいました。熱海市内を流れる初川に沿って登っていくと、程なく熱海梅園に到着しました。
 しかし、今年は梅の花が咲くのがかなり遅れてしまったようで、暫くの間(最終的には2月9日まで)無料開放となっていました。それでも熱海の芸者さんたちがパンフレットを配って盛り上げていました。例年ですと12月ごろから咲き出して1月には見頃になっているはずなので、ちょっと残念でした。それでも僅かにほころんだ数輪の梅があり、「この木は開花しています。どこが咲いているかわかりますか?」とクイズめいた札が架かっていました。園内には、中山晋平記念館韓国庭園などの施設があります。特に中山晋平記念館は、昭和19年に戦争で熱海に疎開してから亡くなるまで住んでいた住居を移築し、作曲に使用したピアノや、直筆の譜面、当時のレコード・蓄音機が展示されていました。堀米さん、川島さん、小久保と修は2階の和室で「てるてる坊主」や「東京行進曲」が流れるなか、のんびり休憩を取りました。丁度このころ、柴田さんは東京駅を出発したと思われます。
 静かな和室でちょっと休憩しすぎたため、お昼の時間をかなり過ぎてしまいました。今日の昼食は海鮮料理で有名なお店「柴竹」を予定しています。お腹が空いたので、かなりの早足で初川沿いに急な坂道を下って行き、20分足らずで熱海の賑やかなところにでました。「柴竹」で皆が選んだメニューは、海鮮丼やかき揚丼でした。さすが地場のお魚は美味しいと、一気に食べつくしました。
 お腹も満たし、ひと心地ついて、さあ、出発です。次の訪問先は「起雲閣」。最初は茨城県行方郡出身の「海運王」内田信也の別荘、そして、鉄道王と呼ばれた東武鉄道創始者の根津嘉一郎の別荘になり、その後、熱海有数の旅館として営業されていた施設です。現在は旅館の営業は終了し、熱海指定有形文化財として公開され、一部、音楽サロンやギャラリーとして利用できる施設となっています。建物は別荘だったため、かなりの贅が施されており、フランス・アールデコが取り入れられた部屋やイギリス・チューダー様式の部屋などそれぞれ見事です。さらに庭園はどの方向から観ても味わいのある素晴らしいものでした。
 大正・昭和のロマニズムとお別れし、熱海の中心街、初川沿いに海岸まで歩きました。途中、「熱海芸妓見番」がありました。毎週土日の午前に公開しているということです。さらに歩くと熱海海岸に出て、今度は海岸を北方向に親水公園を歩き、目指すは「貫一・お宮の像」尾崎紅葉作「金色夜叉」の名場面を模したものです。そうしていると携帯電話が鳴りだし、柴田さんから熱海駅到着の連絡がありました。「貫一・お宮の像」の前で記念写真を撮り、駅へ移動。しかし、駅までは思ったよりも急な階段で、喘ぎ喘ぎながら登りきりました。駅で柴田さんと合流後、いよいよ今夜の宿の「山の上ホテル」に参ります。送迎バスで市街地を抜け、狭い路地を入ったら、すごい急坂と急カーブ、確かに名前通りに「山の上」にありそうな雰囲気です。実際は、市街地を見下ろす丘の中腹に位置していますので、深山幽谷というわけではありません。
 山の上ホテルのオーナーは大学野球出身ということで、ホテルには野球関係の写真や記念品が並べて展示されていました。そして温泉が上層階にあるので熱海を一望しながら入浴できます。まずは、自主トレ一日目の疲れを癒すべく、温泉に浸かりました。夕食は海の幸満載で、テーブルに乗りきれないと思わせるほどの料理が出てきました。さらに、佐々木くんと川島さんが持ってきてくれた3本のワインも堪能しました。宴会はエンドレスで続くかと思いきや、佐々木くんと堀之内くんが昼間の疲れのためか、早々に寝てしまい、その時点でお開きとなりました。
 2日目は朝風呂に浸かった後、みんなで朝食を頂きました。佐々木くんは、朝食前に屋上に上がって写真撮影をしたということです。ゆっくり準備できるよう、9時30分と、ちょっと遅めのチェックアウトにしました。そして、ホテルの送迎バスで熱海駅に送っていただきました。今日の予定はミカン狩りと伊豆山神社までのウォーキングです。まず、伊東線に乗り、宇佐美という駅まで約20分の電車の旅。出発時刻まで佐々木くんと堀米さんは電車の写真を盛んにとっていました。宇佐美駅からは菊間ミカン園の送迎バスで移動。「食べ放題+お土産付き」を選んだ佐々木くん、柴田さん、そして、小久保は熱心にミカンの袋詰めを行いました。ご覧のとおり大収穫でした(写真下右)
 ミカン園を後にして伊東線に乗って再び熱海駅に戻り、今度は源頼朝と北条政子が出会った地とされている伊豆山神社に歩いて向かいます。ただし堀米さんは靴がウォーキングに適していなかったため足が痛くなり、バスで先回りすることになりました。佐々木くんも便乗(?)することにしたため、ウォーキング参加者は5名です。まず、駅脇のトンネルを利用して熱海駅の反対側に廻り、Googleの地図を頼りにスタスタと歩き出しましたが、最初からミスコース。丁度通りがかった地元の方に正しい道を教えてもらい、目指す東海道新幹線のトンネル入り口の上を通る道に辿り着くことができました。
 そのころ、佐々木くんからバスは暫くないという連絡があり、時間調整のつもりで池田満寿夫・佐藤陽子の「創作の家」を見学することにしました。熱海駅が眼下に見える高台にあるお家で、池田満寿夫が1997年に亡くなるまでの間、住居兼アトリエとして過ごされた住まいだそうです。陽子さんのための音楽の練習室が作られていましたし、居間の家具はなかなか凝ったつくりで、大人数でのパーティができそうな素敵なリビングでした。ソファーに座って寛いでいると、堀米さんから、バスをやめてタクシーにしたので、もう、伊豆山神社に到着しているという電話連絡がありました。後2キロ、頑張っても30〜40分かかりそうです。それに伊豆山神社まではかなりの急坂なので、もっとかかるかもしれません。
 それではと重い腰をあげて登りだしました。かなりきつい坂が続く紀州鉄道熱海ホテルの前を通過し、伊豆山ベルエアというリゾートマンションを過ぎると視界が開け、相模湾の見事な眺望です。歩いた甲斐がありました。そこからは遠くに伊豆山神社と思われる社殿が小さく見えるようになりました。後ちょっとだと、歩む力も強くなりました。柴田さんは先ほどの見晴らしの良いところで写真でも撮っていたのでしょうか、ちょっと遅れていましたが、下り坂を勢いよく駆け下りて、追いついてきました。下り坂は小さな川を渡ると終わり、再び登り坂ですが、目的地が見えているので、ズイズイと登っていけます。そうして伊豆山神社の入口に到着。しかし、そこには見上げるような189段の石段。えっ、まだ登るの?と溜息交じりの声が出そうになりましたが、見栄を張って颯爽と登り切りました。境内では佐々木くんと堀米さんが待ち草臥れたような姿で待っていました。二人と合流し、頼朝と政子の逢瀬を偲びつつ、参拝しました。
 たくさん歩いたので、午前中の宇佐美でのミカン狩りで一杯だったお腹もようやくこなれてきたようです。そこで、バスで熱海駅に戻り、お昼を頂くことにしました。熱海駅前のビルにある「あたみ茶屋」という海鮮食堂です。ここでは「ぐるなび」の特典で全員にアイスクリームが付いてきました。この2日間、海鮮三昧でかなり太ったかもしれません。ちょっと遅いお昼を済ませた後、新幹線で静岡の仕事場に向かう堀米さんと熱海駅内の通路で別れ、東京駅に向かう東海道線上り電車に乗りこみました。幸運にも今度はクロスシートに座れましたが、みんなぐっすりと寝てしまいました。

 

     熱海七湯・野中の湯                     ミカン狩り      

【報告:小久保(35組)】

● 目黒編(平成24年3月11日開催)

コース:都営交通・鬼子母神前駅〜鬼(角がない鬼を当てる)子母神〜目白不動(慈眼寺)〜新宿御苑〜内藤新宿〜六本木ヒルズ(昼食)〜有栖川宮記念公園〜目黒不動(瀧泉寺)〜目黒駅 (約14キロ)
参加者:雨澤さん、石井くん(以上31組)、島田くん(33組)、豊田(旧姓山名)さん、川島(旧姓唯根)さん、
     汀くん、古橋くん(以上34組)、齋藤さん(35組)、飛田くん、高沢くん(以上37組)、鈴木くん(39組)、
     小久保(35組)・修(計13名)
概要: 2009年から香港・広州・ベトナムと活気あるアジア各地を渡り歩いた島田くんの日本帰国後初参加となる復活記念自主トレです。また、1年前の3月11日の震災の日を思い起こしてのウォーキングです。集合場所は路面電車が走るちょっとレトロな鬼子母神前駅としましたが、目標となる建物がないため分かりにくくなってしまったようです。集合時間の10時30分前に豊田さんから「池袋駅で齋藤さんとの待ち合わせが上手くいかなかったので、少し遅れます」と携帯に連絡が入ったので、少し待ちました。いつも時間ぎりぎりの川島さんが到着しても、まだ現れせん。今度は高沢くんの携帯に「千登世橋下交差点(?)の方に出てしまい、集合場所の鬼子母神前駅が分からない」という連絡がありました。そこでこの近辺で目立つところ、「千登世橋」に移動し明治通り方向を見渡すと、豊田さんと齋藤さんがこちらを見つけてくれ、走って橋の上に登ってきて、無事に全員集合となりました。今回、都電荒川線を利用した人は少数だったようなので、雑司が谷駅の改札出口を集合場所にすれば分かりやすかったと反省しております。今回は茨城から齋藤さん(35組)と鈴木くん(39組)のお二人が参加してくださいました。
 なんとかかんとかですが予定より20分ぐらいの遅れでスタートと相成り、まずは近くの鬼子母神(きしもじん)にお参りしました。ここ雑司が谷の鬼子母神の”鬼”の字は、角がない鬼を当てていますが、HPでは表現できないので、通常の鬼を使います。鬼子母神はもともとインドの神様ですが、近隣の幼児をとって食べていた過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後は安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったということです。そのため、鬼形ではなく、美しい菩薩形のお姿をされており、角はないということです。本日参加の女性たちも「角」はないですね。いや本当は隠しているだけかも(?)。
 どちらかというような野暮な詮索はせずにそそくさと表参道を通り、ケヤキ並木を抜け、本来の集合場所の「鬼子母神前駅」まで戻りました。本当は表参道から入る予定でしたが、明治通り側での集合になってしまったため、鬼子母神の境内には西参道から入ることになりました。
 ここから目白不動が祀られている慈眼寺金乗院までは緩やかな下りを歩くこと10分ぐらいです。この辺りは「宿坂」と呼ばれ、鎌倉街道へ通じる道だったということです。もともと目白不動は金乗院から南東に1キロぐらいの文京区関口にあったのですが、昭和20年の戦災により焼失したため、本尊の不動明王像を金乗院にお移ししたということです。
 目白不動を後にして明治通りに出ると学習院のキャンパスが望めます。そして、ここからは地下に副都心線が走っている明治通りを南行します。暫くは大学巡りです。まず、馬場口で早稲田通りを過ぎて間もなく見えてくるのは「早稲田大学」、その反対側が「学習院女子大」、さらに新宿2丁目の先の交差点を過ぎて左折し、新宿御苑を右手に見ながら内藤新宿まで行き、また南に進路を取れば「慶応大学」があります。
 新宿御苑と内藤新宿は2月に放送されたNHK「ブラタモリ」(第3シリーズ第16回)で取り上げられていたため、今回、追加コースとして設定しました。新宿御苑は江戸時代の内藤家の屋敷地で、現在はイギリス風景式庭園、フランス式整形庭園、日本庭園をたくみに組み合わせた庭園が売りで、憩いの場にとなっているとのことです。また、新宿御苑の北側には「玉川上水」が流れていました。歴史的建物も沢山残されており、特に各入口にある「衛所」は趣のある姿です。
 信濃町駅を過ぎたところで外苑東通りに入る際、少し複雑な広い交差点を渡りました。先頭は飛田くんと小久保でしたが、難なく渡り終え、こっちだよと伝えようと後方を振り返ると、残りの参加者は違う方向にぞろぞろと行ってしまっているではありませんか。女性陣を含む後方の皆さんはおしゃべりに夢中で、先頭がどのように進んでいるか我関せずの状態でした。汀くんたちに大きな声をかけて呼び戻しました。次は神宮外苑東宮御所の間の閑静な道路を歩きます。すると雨澤さんから電話があり、六本木ヒルズの昼食で合流したいと連絡がありました。そこからはまだ小一時間かかりそうなので、「六本木ヒルズが見えてきたら小久保の方から連絡しますが、何分前が良いですか?」と尋ねたら、15分ぐらい前で大丈夫ということでした。へぇ〜、雨澤さんがこの素敵な場所のすごく近くに住んでいることに驚きました。
 青山一丁目駅を過ぎて乃木坂陸橋を越え、間もなく東京ミッドタウンを通過するころには皆さんお腹が空き出したのか、黙々と歩いています。やっと六本木交差点に到着すると、石井くんが突然「アマンド」があると声を出し、学生時代の思い出を語りだしました。最近キーコーヒーに買収されましたが、石井くんの青春の思い出は残しておいてくださいね。
 さて、今日の昼食は、六本木ヒルズノースタワーの地下にある「Sakura食堂」です。野菜ソムリエが作るヘルシーで美味しくて懐かしい「お母さんのごはん」を出してくれるレストランです。1,000円札でお釣りがくるのも嬉しい。地下鉄から六本木ヒルズに通じる通路で雨澤さんと合流しました。お店の規模に比べて13名と大人数だったので混雑を避けるため予定到着時刻を1時過ぎとしていたのですが、途中いろいろあり、実際は午後1時30分到着でした。幸いお昼のピークを避けることができましたので、直ぐにテーブルの支度ができ、3グループに分かれて思い思いの健康ランチを頬張りました。
 昼食を堪能後、ヒルズ前の通路でお上りさんよろしく、人混みも憚らずに三脚にセルフタイマーをセットして記念撮影をしました(写真左下)。お昼に満足した笑顔が一杯です。では、六本木ヒルズから午後の部の開始です。予定ではヒルズを左手に見ながら南行してグランドハイアット東京に抜けるはずでしたが、小久保が地元の雨澤さんの指示をちゃんと聞かずに進んでしまったため、六本木ヒルズの下の隧道に入ってしまい、テレビ朝日の方に出てしまいました。仕方がないので六本木ヒルズレジデンス前の道を通り、本来のルートに戻ることができました。皆さん一キロぐらいは余分に歩いたことになります。まあ、ここに書かなければ誰も気が付かなかったかもしれませんが、根が正直なので。。。でも遠回りしたお蔭と言ってはなんですが、グランドハイアット東京前の道路で振り返ると、東京タワーが見事に見えました。
 ここから目黒までは単調な登りと下りを繰り返す道ですが、全体としては下り基調です。麻布高校近くの愛育病院前交差点にある盛岡町交番のところで午後2時46分になりましたので、みんなで黙祷を行いました。少し急な坂を下ったところにある「有栖川宮記念公園」のところにある分かれ道で雨澤さんは別れ、週末の翻訳のお仕事がまだ沢山残っているため、ご自宅に歩いて戻られました。有栖川宮記念公園は3年前の秋にも自主トレで訪れたことがあります。公園内の渓流沿いに下って行き、広尾に到着しました。ちょっと古めかしいが綺麗な街並みを歩き続けると、庭園美術館沿いに首都高速が上を走っている道に出ました。夜だとちょっと歩くのが怖くなるような道です。ここから山手線目黒駅は直ぐです。山手線の跨線橋を越え、目黒駅の反対側に行きます。齋藤さんは下館(現筑西)に帰るため目黒駅でお別れです。
 齋藤さんを見送った後、比較的新しい目黒通りではなく、江戸時代の情緒を残している大円寺の前を通りました。目黒駅から大円寺を太鼓橋まで下るこの坂は「行人(ぎょうにん)坂」と呼ばれており、傾斜がかなりきつく、海外で鍛えたはずの島田くんも帰りの登りを恐れて、このまま中目黒に出ようという泣き言を何度も言っていました。目黒川を渡り、暫くすると、目黒不動のある瀧泉寺に到着しました。参拝後、記念撮影をしましたが、あの大きな石井くんがいないことに誰も気づかず、打ち上げ会場に移動しようとしました。しかし一人足りない!直ぐに携帯電話で連絡してみると、どうやらトイレを探していたようで、急いで戻ってきて、再度撮影したのが右下の写真です。今度は早退の雨澤さんと齋藤さんを除いた11名がちゃんと写っています。ちなみにマスクをしたいい男(?)は古橋くんです。
 目黒駅への帰路は傾斜の緩やかな目黒通りの権之助坂を利用し、さらに駅の反対側に出て、今日の打ち上げ会場である「北の酒造 駒八 目黒さんまセンター」というお店に、道に迷い迷いながらもなんとか到着できました。今回は目黒にちなんで、さんまメニューを沢山食べました。

 

     六本木ヒルズ                     目黒不動      

【報告:小久保(35組)】

● トトロ編(平成24年4月21日開催)

コース:西武鉄道・西武球場前駅〜トトロの森〜狭山湖〜県立狭山自然公園〜狭山不動尊〜(昼食)〜
     山口観音〜慶性門〜玉湖(たまのうみ)神社〜武蔵野の道〜旧「羽村−山口(仮称)」
     軽便鉄道廃線跡〜多摩モノレール・桜街道駅=中央線・立川駅 (約15キロ)
参加者:松浦くん(31組)、島田くん(33組)、川島(旧姓・唯根)さん(34組)、小久保(35組) (計4名)
概要: 当初4月14日の開催予定でしたが、生憎の荒天のため一週間延期の開催となりました。予定通りに開催できていれば桜満開ウォーキングのはずでしたが、残念ながらソメイヨシノは葉桜になっていました。しかし幸いなことに、ソメイヨシノよりも少し遅れて咲く八重桜が綺麗な花をつけていました。
 今回は西武球場前駅に珍しく定刻通り全員が集合しました。同日の西武球場では、野球の試合ではなく、Mr. Childrenのコンサートが予定されており、良い席を取ろうと既に並んでいる人もいました。そんな華やいだ皆さんを横目にしながら、我々一行は「トトロの森」を目指して狭山湖堤防の方向に歩き始めました。狭山湖から流れ出る柳瀬川を渡ると「トトロの森」までもう直ぐです。「トトロの森」とは「公益財団法人トトロのふるさと基金」が取得し、管理している武蔵野の里山のことで、現在、14ヵ所の「トトロの森」を取得しているということです。この辺りには一本の木で紅白に咲き分ける「源平」という種類のハナモモ(観賞用の桃)が沢山咲いていました。そして、少し離れたところに狭山湖の堤防が見えます。さらに進むと、「埼玉県緑のトラスト保全2号地」にある「虫たちの森」に隣接して「トトロの森1号地」(写真下左)があります。写真に写っている少し急な階段を登り切り、尾根伝いに少し歩くと「堀口天満天神社」があります。ここは雑木林に囲まれており、昔ながらの武蔵野の風情がしっかりと残されていました。子供の頃の水戸市郊外と似た風景を思い起こさせ、まるで何十年かタイムスリップした感じがしました。
 雑木林を抜けると所沢市西部浄水場に出ました。さらに歩くと狭山湖の堤防です(写真下右)。島田くんと松浦くんの間に狭山湖の取水塔が見えます。写真にポインタを重ねてみてください。取水塔が拡大されます。若葉の湖畔と清々しい水の色のコントラストが見事でした。
 ここで観光案内は一休みして、参加された皆さんの話題をちょっと記載しましょう。いつものようにいろいろな話が脈絡もなく飛び交っていましたが、ここでは昭和52年卒MLでの最近のエイプリルフールの話題から始まって、何故か老々介護の話に発展しました。その老々介護に関連して出たのは島田くんの体験話です。新型インフルエンザが流行っていたころ、島田夫人もインフルエンザに罹ってしまったそうです。病院から戻ってご自宅のマンションに入ろうとした時、島田くんが優しく奥様を背負って部屋まで連れて行ってあげようとしたということです。ところが、普段は人をおぶって階段を登ることがないためかマンションの階段を登り切ることができず、結局、高熱の奥様を歩かせることになってしまったということです。せっかくの優しさが裏目に出てしまい、逆に奥様から顰蹙を買ってしまったということで、日頃から心掛けていないといざというときに役立たないという反省の弁でした。
 このようにワイワイと話しているうちに狭山湖堤防を渡り終え、隣接する県立狭山自然公園から狭山不動尊に到着しました。ここ狭山不動尊には、コ川秀忠公御廟に建立されていた御成門や勅額門が移設されています。境内には鐘撞き堂からの重厚な鐘の音が響き渡っていました。
 丁度お腹がすいてきたと思ったら、もうかれこれ2時間近く歩いており、お昼時です。当初の予定通り西武球場に付属している「獅子」に向かいましたが、なんとMr. Childrenのコンサートのため休止中ということで、場所の探し直しとなってしまいました。幸いにも西武球場駐車場近くに「狭山ラーメン」のお店があり、地元名物を頂くことができました。
 午後は狭山湖と多摩湖の間を通る「多摩湖自転車道」で東京方面に下り、カブトムシをデザインしたアーチがある「武蔵野の道」から軽便鉄道廃線跡を利用した自転車道を経由して多摩モノレール桜街道駅を目指します。まず、金乗院(山口観音)を参拝しました。本堂にはネパールからのブレイクベル(祈願用の鐘)が取り付けられており、それを廻しながら一周しました。次に「慶性門」を訪ねました。多摩湖が完成した時に多くの寺社は移設されましたが、何故かこの門だけが多摩湖畔に取り残されてしまったということです。
 次に自動車道から分離された安全な道をのんびりと歩くと、玉湖(たまのうみ)神社に着きました。昭和初期に水源や水辺の水神を祀るために建立されましたが、現在は空き神社です。昨年の東日本大震災で本殿に亀裂が入ってしまい、残念ながら取り壊されて奥殿だけが残っている状態でした。この玉湖神社の近くに2つの湖(多摩湖と狭山湖)を見渡せる丘があるということなので登ってみました。なかなか登り口が見つからず困りましたが、やっと藪の中にある狭い階段道を見つけて頂上に辿り着くことができ、丘の上から2つの湖の景観を楽しみました。ここから東京方面に向かう多摩湖自転車道は緩やかな下り勾配のため、軽快に歩を進めることができます。
 フィトンチットが沢山ある若葉の中を歩き続け、武蔵野の道の分岐のところで休憩所があったので、小休憩を取りました。ここでの話題は最近「ペットボトルや瓶の蓋」が開け難くなってきているということでした。しかし、島田くんは難なく開けられ、それが家族たちに唯一尊敬される瞬間(?)と自慢していた丁度その時、川島さんが新しいペットボトルを開けようと苦労していました。結局開けられず、島田くんに開けてくれるように依頼したところ、即座に開けることができ、川島さんから大いに感謝されたという次第です。
 休憩で人心地ついたので、今度は武蔵野の道を進みます。途中いくつかの分岐がありましたが、ヤマ勘で道を選んで降りていくと、突然、「関係者以外の方は立ち入らないでください」という合成音が流れ出しました。なんと産業廃棄物処理場の入口に設置されていた警報システムのようです。どうやら道を間違えたようです。これはまずいと少し戻り、別の道を降りてみました。今度は住宅街に抜けることができました。しかし、目的とした軽便鉄道「羽村-山口線」(仮称)の廃線跡を利用した自転車道は通り過ぎてしまったようです。この廃線には、羽村の方に向かって「赤坂トンネル」「御岳トンネル」「赤堀トンネル」「横田トンネル」があります。後で分かりましたが、一度そのひとつの「赤坂トンネル」近くにある溜池(番大池)というところに出たのですが、廃線への入口と思わずにそのまま通り過ぎてしまったようです。結局、トンネル群の出口の方に回り道し、逆方向になりますが「横田トンネル」から全てのトンネルを完歩しました。また、この近くにも旧常澄村(現在は水戸市塩崎町)と同じ「大多羅法師(ダイダラボッチ)」の伝説があり、足跡から水が湧きだしたと伝わる「ダイダラボッチの井戸」がありました。
 かなりの遠回りをして再び「横田トンネル」を出たところ、路線バスが無情にも通過していきました。横田トンネル近くのバス停の時刻表を見ると、何と次のバスは一時間ぐらい後ということで、「待つ?」それとも「歩く?」と尋ねたら、松浦くんが男気で「歩こう!」と言ったため、桜街道駅まで歩くことになりました。しかし多くの車が走っている道路は歩きにくく、なかなか桜街道駅には到着しません。やはり自然の中を歩くのが良いということを実感しました。ようやく小一時間で駅に辿り着き、そこから多摩モノレールを使って中央線の立川駅に到着しました。最後に立川駅ビル(ルミネ)にある「地鶏や」で打ち上げを行い、7時ぐらいにお開きとなりました。今回は前回とは異なりコース全体が下り基調で、距離も15キロと短かったため、ちょっとした足慣らし企画でした。翌日にあまり疲れが残らなくてよかったと島田くんが52年卒のメーリングリストに書いてくれました。

 

トトロの森1号地                          狭山湖        

【報告:小久保(35組)】

● 秩父編(平成24年5月12日開催)

コース:西武鉄道・横瀬駅〜羊山公園・芝桜の丘〜羊山公園・見晴らしの丘〜牧水の滝〜西武秩父駅〜
     秩父神社〜(昼食)〜秩父祭り会館〜秩父ハーブ橋〜音楽寺〜法泉寺〜酒づくりの森=バス=
     秩父駅〜武蔵屋(打ち上げ)(約15キロ)
参加者:島田くん(33組)、川島(旧姓・唯根)さん(34組)、小久保(35組)、高沢くん、飛田くん(以上37組)
     (計5名)
概要: 今回は秩父で芝桜の鑑賞です。西武秩父線の横瀬駅に集合しました。まず、「羊ヶ丘公園・芝桜の丘」に向かいました。途中、石が切り出されて山自体が大きく変形してしまっている武甲山の姿を眺めながらの行程です。田んぼ道をぞろぞろと観光客ハイカーたちが歩いていますが、我々のグループはどちらかというと若い方です。先に歩き出していた先輩方を颯爽と追い越していき、15分位で目的地の「芝桜の丘」に着きました。
 今年は天候不順のため、梅を始めとして多くの花が咲く季節が例年よりも1ヶ月ほど遅れてしまいました。その影響が芝桜にも現れ、残念ながら花の生育が悪いところが見られました。そのため期待していた芝桜の絨毯というわけにはまいりません。そのような訳で入場料は請求されず、100円の寄付のみで、綺麗に芝桜が咲いている絵葉書を貰いました。それでも観光客の皆さんは花が比較的綺麗に咲いている一角を探して写真撮影をしているようでした。私たちも芝桜を背景に「ハイ、ポーズ」と、記念撮影をしました(写真下左)。もし花の咲きが良い年ならば、2年前に撮影した写真のように5月の連休ごろには色とりどりのパステルカラーの絨毯になります。2年前の写真をご覧になるためにはここをクリックしてください(2010年5月6日撮影)。今年の花の咲き具合は残念でしたが、次の機会を期待しましょう。
 次に秩父市内を一望できる「羊山公園・見晴らしの丘」を目指します。一直線の急坂を登っていくと視界がさっと開け、秩父市街地だけでなく荒川やその向こうの「秩父ミューズパーク」や午後に立ち寄る予定の「音楽寺」がある長尾根丘陵が一望できます。しかしここは丘の上のためかなり風が強く、素晴らしい眺望をしばし楽しんだのち早々に引揚げることにしました。羊山公園から西武秩父駅方面に下ると、牧水が秩父を訪ねたときに見たであろう「若山牧水の滝」や水車小屋を再現した施設があります。牧水は度々秩父を訪れたということで、この場所には「秩父町出はづれ来れば機をりのうたごゑつゞく古りし家竝に」の歌碑が建てられています。
 若山牧水の滝を後にして、秩父の市街地を西武秩父駅方面に移動します。西武秩父駅には仲見世通りというお土産スポットがありますが、まだまだウォーキングは始まったばかりですので、お土産は別の場所にしましょう。仲見世通りを抜け、西武秩父駅の北側の通路を進むと秩父鉄道の「御花畑(おはなばたけ)」駅です。例年12月3日に行われる秩父祭りでは、この付近からお旅所が設けられる秩父市役所までの急坂(談合坂)を屋台が登るクライマックスの場所となります。次に御花畑駅から秩父神社までの通りは、明治か大正のレトロな時代に足を踏み入れてしまったかと錯覚させるような街並みです。右から書き始める屋号やその文字の種類も懐かしく、それが逆に新鮮な魅力を醸しだしています。また、秩父神社前の交差点で耳をそばだててみると、遠くから蒸気機関車の汽笛が聞こえました。秩父鉄道のパレオエクスプレスです。暫らくすると牽引するC58が、その雄姿を現わしました。遠くからだったので、割と小さい(?)印象でしたが、たぶん、近くで見れば力強い姿なのでしょう。
 さて次の目的地の秩父神社はこの地方(知知夫国)の総鎮守として古来から崇拝されてきました。また秩父神社の例祭として有名な「秩父夜祭」は国の重要無形民俗文化財に指定され、京都祇園祭飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられるお祭りです。境内には「北辰の梟」「つなぎの龍」など沢山の見所がありますが、特に左甚五郎作と伝わる「子育ての虎」は有名で「赤子には肌を離すな。幼児には手を離すな。子供には目を離すな。若者には心を離すな。」という親の心得が書かれています。
 本日の自主トレの安全を祈願して、境内を出発しようと時計を見ると、お昼を少し過ぎる時刻になっていました。本日のお昼のテーマは「地産地消」です。秩父駅に隣接した「秩父地場産センター」の2階にある「秩父茶房レストラン−春夏秋冬−」で地野菜を使った料理を堪能しました。食事を済ませたころ、「午後の予定は?」という質問が出たので、「まず、『秩父祭り会館』を見学し、秩父駅から出発するバスに乗って23番札所の『音楽寺』、そして江戸巡礼古道を下って24番札所の『法泉寺』、最後に『酒づくりの森』で試飲です。」と答えたところ、「えっ、バスに乗るの?」と不満げな反応が返ってきました。「何キロぐらい?」と訊ねられたので、「2キロちょっとかな?」と返事をしたら、「だったら歩こう!」の一声で、取り立てての反対意見もなく、バスは利用せずに歩くことが決定されました。確かに距離は2キロちょっとですが、歩くという話が決まってからでは、「秩父駅と音楽寺との標高差は160mぐらいありますが・・・」とは説明できませんでした。大丈夫かな?
 昼食後はまず、秩父駅から秩父神社の方向に少し戻り「秩父祭り会館」に行きました。ここでは毎年12月2、3日に行われる秩父夜祭の醍醐味をビデオと影絵で再現しています。また館内には、実物大の屋台・笠鉾とお祭りの関係資料が展示されていますので、一見の価値があります。
 さて次はいよいよ音楽寺に向けてウォーキングの開始です。もしバスを利用していれば7分で到着する距離ですが、高低差160mの登りを考えると歩く場合は1時間弱は必要でしょう。しかし、もうすでに数々の自主トレをこなしてきている皆さんなので、短時間で楽々到着してしまうものと思います。
 音楽寺は秩父23番札所で、秩父市街地の西側の長尾根丘陵に位置し、その昔、慈覚大師が松林の風音を聞き本尊観音菩薩の音楽を感じて松風山音楽寺と命名したと伝えられる寺です。そのため、多くの音楽関係者から信仰されているということです。秩父駅から荒川までは緩やかな下り基調の道を歩き、最後の1キロ弱がきつい登り道となります。荒川にかかる「秩父ハープ橋」は均整の取れた美しい斜長橋です。さらに、その橋から荒川と武甲山への眺めも見事の一言です。秩父ハープ橋を渡りきり、「ミューズパーク北」交差点から登り道になります。少し前には初老のご夫婦がゆっくりと歩いていました。また後ろからは、小さなリュックを背負ったあたかもクロスカントリー練習中の若者が、私たちを軽やかに追い抜いていき、山道に入ると直ぐに見えなくなりました。あんなに軽々と走って行けるのならばこの道は案外軽いのかもという安易な期待を抱きながら、その若者に続き、山道の方に分け入りました。ところが、その道は最初こそなだらかな散策道でしたが、地元の氏神様の稲荷大社を過ぎるところから急坂に変わり、行けども行けども登り道の連続で、最初の安易な期待は見事に裏切られました。さらに途中には足元が悪く、恐る々々渡らなければならない一本橋もあり、予想以上の難コースでした。さてどこまで続くのやらとだんだん心配になってきましたが、大きな砂防ダムが見え、その脇の道を一気に登っていくと休憩所があり、やっとひと心地つくことができました。高沢くんが休憩所の近くにおられた方に質問したところ、この道を登りきり、大きな駐車場を抜けると直ぐに音楽寺まで着くと言うことで、最後の力を振り絞って歩きました。音楽寺の参道には数件の茶屋があり、その間の道を登っていくと納経所があり、その奥に本堂と、少し離れて観音堂があります。お参りをしてからいつものように記念写真を撮影しました(写真下右)。この写真の右側後方に柱が見えるのが、秩父事件発生時に打ち鳴らされたという音楽寺の鐘楼です。代わる代わる鐘を突くと、澄んだ鐘の音が麓に広がっていきました。音楽寺を後にしようとする頃、先ほどのご夫婦が登って来られました。そして駐車場を出ようとするとき、停留所を通過するバスが見えました。腕時計と時刻表を見比べると乗車予定だったバスだった模様で、どうやら歩いたほうが早く到着できたようです。
 次の24番札所法泉寺までは「江戸巡礼古道 長尾根道」をひたすら下る道で約45分の行程です。しかし法泉寺へは116段の急な階段を登らなければなりません。最初は楽々と登ることができましたが、途中からは勢いをつけて力強く階段を登らないときつくなりました。なんとか116段を登りきり休んでいると、ウェートオーバー気味の島田くんがあえぎあえぎながらも川島さんをエスコートして最後に登ってきました(もしかしてお二人の立場が逆、つまり川島さんが島田くんを気遣って一緒に歩いていたのかもしれませんが・・・)。
 次はこの自主トレの最終目的地、「酒つくりの森」です。ミューズパーク入口交差点から10分ぐらい歩いたところにあります。ここは「秩父錦」という地酒の醸造元が運営する施設で、実際に使っていた酒造りの道具や現在の醸造工程を見学できます。しかし「酒造りの森」にようやく到着できた時刻は午後4時ぐらいになっていましたので、閉館まで残り僅か30分でした。今回は係りの方が快く要所々々だけ廻ってくださり、最後の試飲までさせていただきました。試飲がないとおかんむりになってしまう方がいそうだったので、係りの方には感謝々々であります。説明によると醸造の最盛期ならば館内に甘いお酒の香りが立ち込めていたということでしたが、生憎お邪魔した時期は仕込みの端境期で醸造工程には何もありませんでした。それでもお酒を熟成する貯蔵庫に入れてもらったときは酔ってしまいそうな良い香りで一杯でした。下戸の高沢くんと、3杯で酔いが廻ってしまい途中棄権した島田くん以外は、小さな試飲用コップ5杯では足りないような様子でした。秩父駅行最終のバスの時刻まであまり時間が残っていませんでしたが、物産コーナーで、試飲で美味しいと思ったお酒と、秩父名産のお土産を思い々々に買い求めました。
 バスで秩父駅に戻り、駅近くの「武蔵屋」というお店で秩父蕎麦と秩父錦で打ち上げを行いました。今回は気を利かせたつもりで急な登り坂をバス利用の計画にしておきましたが、やはり私の期待通りの「歩く」という選択になりました。やはり自主トレには急坂をアレンジしておかないといけないようです。今回は少し遠いところだったので、あまり酔い過ぎない時間でお開きとして、西武秩父駅からそれぞれ帰宅の途につきました。

 


    芝桜の丘                              音楽寺     

【報告:小久保(35組)】

● 江の島編(平成24年6月23日開催)

コース:小田急江ノ島線・鵠沼海岸駅〜湘南海岸公園〜浜野水産〜龍口寺〜(昼食)〜江ノ島観光=
     (船)=江ノ電江ノ島駅=(江ノ電)=極楽寺駅〜成就院参道〜段葛〜鶴岡八幡宮〜小町通〜
     鎌倉駅(約10キロ)
参加者:松浦くん(31組)、島田くん(33組)、川島(旧姓・唯根)さん(34組)、小久保(35組)、
     高沢くん、飛田くん(以上37組)、堀之内くん(39組) (計7名)
概要: 江の島は4年前の平成20年5月以来二度目の自主トレコース登場です。前回はリーダーの島田くんが腰越での昼食でシラス丼に拘りすぎたため、江の島観光も満足にできないままお開きになってしまったようです。今回はそのリベンジ企画として島田くんが再び道案内人を務めます。
 集合場所は小田急江ノ島線鵠沼海岸駅でしたが、小久保は勘違いしてJR藤沢駅から江ノ電に乗ってしまい、集合場所とは違う駅に降りてしまいました。直ぐに携帯電話で島田リーダーに連絡を取り、何とか湘南海岸公園で合流することができました。今回は道案内をしないで済むので緊張感が欠けていたせいかもしれません。合流後、江の島を眺めながら海岸を歩いていきました。週末をのんびり過ごす家族連れや犬との散歩をする人たちとすれ違いました。海のほうではサーフィンを楽しむ人たちの黒いウェットスーツがまるでマグロが泳いでいるように見えました。
 最初の目的地は腰越にあるシラス販売所(湘南丸浜野水産)です。釜から上げ立てのほかほかのシラスが販売されていました。島田くんによると、「今年はシラスの水揚げが良くない」という話でした。次の目的地は「龍口寺」です。この寺は1337年に日蓮聖人の直弟子の日法聖人が「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが始まりと伝えられています。遠く鎌倉の頃を思いつつ参拝しました。
 さて、次はお待ちかねの「シラス丼」です。まだお昼には30分ほどありましたが、混まないうちにとお目当てのお店「かきや」を目指します。お店のすぐ前を江ノ電が走っています。お店の一階は20席ぐらいで、到着した時には既に満席の状態で、やはり待つことになりました。7人なので、4人と3人とに分かれて、それぞれシラスを用いたメニューを注文し、湘南の名物に舌鼓を打ちました。
 少し早いお昼を済ませて、次の目的地は江の島です。なんと島田くんから橋を渡らずに江の島に行くという提案があり、みんな半信半疑でついていきました。橋の脇の砂浜を歩いていくと、引き潮の時は江の島側まで繋がっているとのこと、まるで気分はモーゼの「エジプト脱出」です。しかしこの後が難関でした。江の島側は海岸から歩いてくる人を想定していないため、島に通じる通路はなく、護岸堤防をよじ登らなければなりません。身軽な人はささっと、体重のある者は腕力を頼りに登り切ることができましたが、我ら一行の紅一点、弁財天様はなかなか登り切ることができません。みんなの力を合わせてやっと護岸堤防の柵を越え、見事に海から江の島に上陸することができました。
 江の島入口にある青銅の鳥居を潜り、お土産屋が並ぶ賑やかな弁財天仲見世通りを過ぎると、朱色の鳥居が見えてきます。この鳥居から階段が始まります。この島に祀られている江島神社にはお宮が3ヵ所あり、それぞれに海の守護神である女神が祀られているそうです。また、辺津宮の側には裸で琵琶を持ったお姿で有名な「裸弁財天」が祀られています。
 ところで、ここまでの記載で「江ノ島」「江の島」「江島」と使い分けていることに気づかれましたか?
 地名表記の変遷はこちらで詳細に解説されていますので、参考にしてください。
 参道をさらに登っていくと少し開けた場所に出ました。旧「江の島植物園」である「サムエル・コッキング苑」です。この施設に続いてフードコートがあり、ここに島田くんお薦めのタコセンベイの売店がありました。確かに「たこせんを並ばずゲット。」とWEBには掲載されていますが、本当でしょうかね。予ねてからの宣言通りに川島さんと、川島さんの介添え役で飛田くんが並びました。他の人は展望台から景色を眺めたり、木陰で涼んだりしながら時間をつぶしました。タコセンベイの売店に並んでいる列は10人ぐらいのようですが、これがなかなか進まないようです。後日、川島さんがMLに投稿した内容を抜粋しますと、「昔、駄菓子屋に似たような味の物が売っていたような記憶があります。タイ焼きのように一度にたくさん作るのではなく、一度で2人分しか作れません。しかも、1回焼くのに5分位時間がかかるので思っていた以上に40分も待たされるはめになってしまいました。」ということでした。
 十分な休憩の後、天女と五頭龍との伝説をモチーフにした「恋人の丘」に向かいました。松浦くんと堀之内くんが鐘を鳴らしていましたが、何か御利益があったのでしょうか?さらに海岸の方に進むと、関東大震災の時に隆起した「稚児ヶ淵」に出ました。岩海苔と波飛沫で滑りやすくなっている岩場を恐る恐る歩いて海辺に出て記念撮影しました(写真下左)。時折、岩にあたる波が砕け、その飛沫に反射したフラッシュの光が写真の中で煌めいていました。そして、稚児ヶ淵の近くの岩場から「べんてん丸」を利用し、江ノ島駅付近に移動しました。海上の風は心地よく、ほんの数分の船旅でしたがとても爽快でした。
 江ノ島駅から江ノ電を利用して、紫陽花で有名な「成就院」がある極楽寺駅に向かいました。「成就院」の本山である大覚寺が生け花・嵯峨御流の総司所である関係で、「生け花はこころのお花を開くことが真髄」と学び、住職が由比ガ浜を望む参道にアジサイを植えてきたそうです。自主トレ当日はちょうど紫陽花の見頃で、何と、極楽寺駅から長い行列ができていました。今日は辛抱強く並ぶ日になりました。1時間以上並んで、ようやく参道沿いに咲き誇る紫陽花を鑑賞することができました。遠くに臨む海の青さと近くに映える赤や紫の紫陽花が対照的でした。
 成就院で思わぬ長居となってしまったため、予定していた長谷寺は次回の楽しみとし、鎌倉へ歩を進めました。また松浦くんから「鎌倉に来たのだから『鶴岡八幡宮』に参拝しよう」という提案があり、極楽寺坂切通しから由比ヶ浜若宮大路段葛を経て、「鶴岡八幡宮」を目指しました。午後4時ぐらいに八幡宮前に到着すると、八幡宮前では新郎新婦の写真撮影が丁度行われていました。そうか「June Brideの季節」だと気づき、邪魔にならないように花嫁さんを見ていたら、島田くんたちの先頭からだいぶ離れてしまい、大慌てで追いつくことになりました。そして、鶴岡八幡宮の社が見える所で記念写真を撮りました(写真下右)。鶴岡八幡宮参拝後、小町通でお土産物を購入し、居酒屋「あじたろう」鎌倉店で打ち上げをして、鎌倉駅から帰路につきました。

 


    江の島稚児ヶ淵                              鶴岡八幡宮     

【報告:小久保(35組)】

● 霧降高原編(平成24年7月15〜16日開催)

コース:(初日)東武線・日光駅=霧降の滝〜隠れ三滝【途中断念】〜霧降の滝=
     リオン・ドール(買い出し+昼食)=リトルベアーズ(貸別荘)=やしおの湯=BBQ・宴会
     (2日目)リトルベアーズ=キスゲ平(レストハウス)〜ニッコウキスゲ鑑賞〜キスゲ平〜
     レストハウスにて解散(歩行合計5キロ)
参加者:川島(旧姓・唯根)さん(34組)、小久保(35組)+修、高沢くん、飛田くん(以上37組)、
     堀米(旧姓・坂本)さん(38組)、飯村くん、大島くん、堀之内くん(以上39組) (計9名)
概要: ニッコウキスゲが見たい、BBQがしたい、別荘に泊まりたい、といういろいろな我儘に応える企画です。今回は皆さんの熱いご要望に応えるべく、標高1,600メートルを超える涼しい霧降高原でのウォーキングに挑戦することにしました。まず、拠点となるべき別荘として、日光清滝ICから1キロ足らずのところにある「リトルベアーズ」を連棟型で予約できました。ここには雨でもBBQが行えるgazebo(ガゼボ)もあるということです。
 初日(7月15日)は三連休の中日にあたりますが、幸い東北縦貫道は順調に走ることができました。しかし日光ICを出て東武日光駅への道に入ると大渋滞となってしまいました。どうも東照宮方面が混んでいるようです。このまま渋滞にはまったままでは遅れてしまうかもしれないため、修を東武日光駅の近くで下し、駅構内にある「金谷テラス」で他のメンバーの到着を待ってもらいました。私は車を比較的空いていたJR日光駅の方に移動させ、市営の駐車場に停めることができました。そして徒歩で東武日光駅に戻りました。駅構内を見渡すと修はまだひとりで、誰も到着していないようです。暫くして大島くんがベテラン登山家風のいでたちで颯爽と現れました。大島くんの話によると、列車は大混雑の上、東武日光駅の改札が動作不良で乗客がホームから改札の外へなかなか移動できなかったということです。そうしていると間もなく飛田くん、川島さん、高沢くんが到着しました。集合予定の10時30分は過ぎましたが、まだ、堀之内くんの車(同乗者は堀米さんと飯村くん)は到着していません。携帯電話で確認したところ日光ICを出るところということでしたので、混雑を避けるようJR日光駅の方の道から来るようにアドバイスしました。十数分後に全員が到着しました。では、午前の目的地、霧降の滝へ移動しましょう。
 東武日光駅の構内を出るのも先程来の渋滞で時間がかかりそうでしたが、日光に親戚がいて熟知(?)しているという大島くんの絶妙なナビに従うことで、構内から霧降高原方面の道にすばやく出られました。後は山道をずんずんと登って行けば、直ぐに霧降の滝の駐車場に到着です。ただし駐車場とはいっても十分なスペースがあるわけではなく、登山道沿いの坂道になんとか停めることができました。
 駐車場から霧降の滝の観瀑台へは良く整備された遊歩道を5分ぐらい歩きました。観瀑台から向う側の山裾に落差75メートルの霧降の滝が見えました。霧降の滝は「華厳の滝」、「裏見の滝」と共に日光三名瀑の一つに数えられてきた滝で、上下二段に分れているため、滝が飛散し霧状になることから「霧降の滝」と名付けられたということです。観瀑台は2つに分かれていますが、それぞれは狭いため、9名が並んで写真を撮るスペースはありません。
 霧降の滝を後にして向かった次の目的地は、隠れ三滝と呼ばれる「丁字の滝」「玉簾(たますだれ)の滝」「マックラの滝」です。お昼を美味しく食べるための準備運動という位置付けです。駐車場に隣接した売店で山女魚を焼いていた女性に「大山ハイキング道」への道を尋ねたところ、車を止めた登山道を登って行けばよいということでした。ここ数日雨模様だったようで、少しぬかるんだ笹の多いハイキング道に入りました。最初は坂道を上り、次に尾根伝いを歩くと「霧降高原道路」が見える所に出て、今度は沢の方に下りて行きました。沢沿いに出ると、最近濁流に舐められた跡が至る所に見られました。そして沢川の本流(霧降川)のところに出ると、なんと、木製の橋が流されているではありませんか。無理すれば石伝いに渡れるかもしれませんが、この先も同様の状態であると思われるので、ここでの休憩後、車を停めた駐車場に引き返すことにしました。歩いた時間は正味30分ぐらいでしたが、坂道がきつかったようです。沢の水で顔を洗い、喉を潤すと疲れが癒えました。
 元来た笹の多い道を戻って駐車場に出たところ、軽装の若いカップルがハイキング道に入ろうとしていたので、少し登ったところで橋が落ちていますよと教えてあげました。どうも日光駅から歩いて登ってきたようでした。引き返すのかと思いましたが、あにはからんや女性の方がルンルンと男性を従えて登って行きました。
 当初の計画では、お昼は「山のレストラン」を予定していましたが、かなり混んでいるということと、軽い食事が良いということで、駐車場近くの蕎麦屋さんに入りました。9名がそれぞれ席に座りましたが、食券を売っている気配がしません。どうやら売り切れになってしまったようで蕎麦を仕込みなおしているようです。仕方がないのでこのお店は諦めて、日光駅に戻ってお昼を食べることにしました。しかし日光駅付近は朝よりも酷い大渋滞でした。駐車できる場所もないため渋滞の中30分ぐらい我慢しましたが、大島くんの提案で、BBQ食材の買い出し予定のスーパーマーケット「リオン・ドール」に取り敢えず車を停めて、歩いて駅の近くで食べることにしました。皆さんのご希望は新蕎麦ということだったので、駅構内に入る途中に見つけておいた昭和初期にタイムスリップしたようなお店で食べることにしました。味はそこそことしても、店の雰囲気やサービス方法などは一昔前の時代の物でした。
 かなり遅くなってしまったお昼を済ませ、車を停めさせてもらったリオン・ドールに戻り、BBQの買い出しをしました。皆さん好物を買い物かごに入れて沢山購入したつもりですが、7,000円強でした。皆さんからの持ち寄り品が多かったせいかもしれません。貸別荘の「リトルベアーズ」に移動して、食材を部屋の冷蔵庫に入れ、まずはハイキング(大して歩いたわけではありませんが…)の汗を流すため、近くに「やしおの湯」に行きました。
 「やしおの湯」で温泉とカキ氷を堪能した後、「リトルベアーズ」に戻り、BBQの準備に取り掛かりました。川島さんと堀米さんが大島くんにBBQマイスターを委嘱し、全てを取仕切って貰うことになりました。暑い中、軍手をはめて熱い炭火との格闘です。頑張って!
 まずは酔う前にBBQコーナーでの記念撮影です(写真下左)。今回のBBQには皆さんから、ピムズ(イギリスの夏には欠かせないドリンク)、ワイン、ハム、フルーツポンチ、つくば市にある農産物直売所「みずほの村市場」の野菜、各種調味料など色々な持込がありました。飯村くん特製ピムズは川島さんの頭痛を一気に解消する偉大なる効果を発揮し、堀米さん手作りのフルーツポンチは美味しくて高沢くんに独占されてしまいました。そしてBBQ仕上げの焼きそばは、「ためしてガッテン!」伝授の作り方が堀之内くんから披露され大好評でした。午後8時ごろにBBQをお開きにして、部屋に戻り、宴会の続きを行いました。ここでは堀之内くんの遠い昔の恋物語が披露されました。
 2日目は8時30分から焼きたてのパンと炊き立てのごはんの朝食を堪能し、昨日のごみの整理をしました。どうやらワインはいつの間にか5本空いたようです。さて、霧降高原のニッコウキスゲを鑑賞に行きましょう。午前10時前に「リトルベアーズ」を出発し、途中、コンビニでお昼を購入しました。現在キスゲ平は霧降高原スキー場閉鎖に伴い、来年完成予定で改装中のため、レストハウスは営業していません。霧降高原道路を快調に進んでいったため、早い時間帯にウォーキングをスタートできるかと期待しましたが、残念ながら駐車場に入るための渋滞が続き、約一時間待ちでやっと車を停めることができました。
 以前はリフトがあり、ニッコウキスゲを眺めながらの空中散歩ができたのですが、昨年よりキスゲ平までの道を木道と階段でつなぐ工事を行っている最中で、空中散歩はできなくなりました。工事中の一角が今年は暫定的に解放されているため、まず、そこからニッコウキスゲの群生を鑑賞しました。橙色のユリのような花が一面に咲き誇っていました。次にキスゲ平までのハイキングを行いましょう。レストハウスからの標高差は約300メートル、ガイドブックでは70分ぐらいの行程です。こちらも雨が降っていた影響でぬかるんだ道となっており、滑らないように慎重に歩いていきました。スキー場の脇道なので登り道としてはかなり勾配がきついかもしれません。尻押し部隊もいたようで、みんなで協力してキスゲ平まで到着できました。
 キスゲ平で昼食を食べ、記念撮影を行いました(写真下右)。キスゲ平から吹き上がってくる涼しい風が心地よく、疲れがいっぺんにふき飛んでしまいました。この登山道は丸山(1689m)まで続くのですが、写真でお分かりのように霧で視界が悪くなっていました。残念ながらここでレストハウスへ引き返すことにしました。
 今年はレストハウスは工事中でしたが、平成25年にはオープンするということなので、再びニッコウキスゲの群生を鑑賞に来ることにしましょう。この駐車場で解散とし、電車で帰る大島くんを小久保が東武日光駅で下し、飛田くんの車は柏経由で、堀之内くんの車は筑波経由でそれぞれ家路につきました。

 


    貸別荘「リトルベアーズ」でのBBQ              キスゲ平(1635m)(小久保撮影)     

【報告:小久保(35組)】

● 御岳山編(平成24年8月26日開催)

コース:JR御嶽駅=(バス)=ケーブル下〜滝本駅=(ケーブルカー)=御岳山駅=(リフト)=
     大展望台駅〜レンゲショウマ群生地〜武蔵御嶽神社〜(昼食)〜七代の滝〜御岳山駅=
     (ケーブルカー)=滝本駅〜ケーブル下=(バス)=JR御嶽駅=JR沢井駅
参加者:川島(旧姓:唯根)(34組)、小久保くん(35組)、石原(旧姓:小野)さん、高沢くん、
     飛田くん(以上37組)、堀米(旧姓:坂本)さん(38組)、佐々木くん(39組)、京美さん(佐々木夫人)
     計8名
概要: 今回は昨年8月に続く真夏の登山企画第2弾、御岳山です。石原さん、京美さんが自主トレ初参加となり、史上初の男女比1:1という理想形になりました。女性の参加者が増え、うれしいことです。これによって男性陣4名のモチベーションが上がったことは言うまでもありません。
 昨年の大山編での途中で登頂を断念し下山した反省をふまえ、今回はケーブルカー等を利用することにしました。とはいえ、決して楽なコースではありません。日頃、運動不足の私たち一行にとっては、それでもかなり大変な行程であったのです。
 まずケーブルカーで標高831mの御岳山駅まで6分で一気に登りました。さらにその先も当初の小久保くんの計画では歩く予定でしたが、堀米さんの強い要望を受けて富士峰園地の大展望台駅までリフトで登ることになりました。この後の苦しい行程を考えれば、ここでリフトを使って体力を温存できたことは結果的には大正解だったと思います。この日は天候に恵まれ、大展望台からは西武ドームや、そのはるか奥に東京スカイツリーの細長い姿を見ることができました。その後レンゲショウマの美しい群生地をゆっくりと散策しながら御岳山駅まで下りました。私はレンゲショウマの花を初めて見たのですが、可憐でとても小さな花です(写真下左)。奥ゆかしくて下を向きながら咲いています。一輪だけでもとてもきれいな花なのですが、群生していると、なおさら美しい姿でした。たくさんの人が写真を撮っていました。
 いよいよ次は武蔵御嶽神社までの登りです。初めのうちは平坦な道だったのですが、だんだんと険しくなっていきます。かなり汗をかいて武蔵御嶽神社に到着いたしました(ここが標高929m)。その後、見晴らしのよいお休み所で昼食休憩をとって一息ついたのですが、実はこれからが大変だったのです。七代(ななよ)の滝までの長くて急な坂道を下りていきます。下りとはいえ、かなり疲れました。細長い道なので一列縦隊です。反対方向から登ってくる人たちとすれ違うのもけっこう大変です。七代の滝に着いた時は、まるでここは極楽かと思えるほどでした(写真下右)。ひんやりと涼しくて一気に疲れが吹き飛んでしまいました。滝の流れ落ちる音は実にさわやかでした。ここまで苦労して来たかいがあったというものです。堀米さんは「このままここに住み着きたい!」と言っていました。まったく同感です。ここまで長くて急な坂道を下りてきたということは、帰りは逆にそこを登らなければなりません。帰路では鉄ハシゴを使って登りました。天狗岩のクサリ場ではちょっとしたアドベンチャー気分を味わうことができました。
 この先、時間があればロックガーデン綾広の滝まで足を延ばす予定でしたが、打ち上げ予定の小澤酒造「澤乃井園」が17時に閉まってしまうということもあり、あきらめてここから下山することにいたしました。一番の楽しみである澤乃井園を優先させたというわけです(それも私たちらしいですよね!)。澤乃井園で食べたかき氷のおいしかったこと! にごり酒や日本酒ベースの梅酒「ぶらり」もとてもスッキリしていて渇いた喉にしみてきました。御岳渓谷の水は「日本名水百選」に指定されているそうです。この清らかな水で仕込まれたお酒ですから、当然おいしいはずですね。
 私たちは実年齢ではそろそろ50代中盤にさしかかりますが、月に1度だけ、このように青春に戻れる日があってもよいと思います。緑の美しさに感激したり、足元の小さな花に話しかけたり、川のせせらぎの音や滝の流れ落ちる音に耳をすませたり、これからも体力と相談しながらウォーキングを楽しみたいと思います。アスファルトの安定した道だけではなく、今回のコースのようにでこぼこ道や砂利道、急な上り坂あるいは下り坂など、さまざまな路面を歩くのがよいですね。ウォーキングに人生を重ねて・・・。

おまけ1:昼食時、佐々木くんはカツ丼を食べたのですが、注文する時に「カツ丼を食べてもいい?」と奥様の京美さんに許可をもらっていました。その姿がなんとなくほほえま しくて思わずニッコリしてしまいました。
おまけ2:七代の滝から戻る途中、天狗岩のクサリ場で高沢くんが石原さんをサポート!
その高沢くんの勇姿は頼もしくて、とても素敵でした。


 

  レンゲショウマの花                    七代の滝にて     

【撮影:佐々木くん39組 報告:川島(旧姓:唯根)34組】

● 巾着田編(平成24年9月29日開催)

コース:西武飯能駅〜天覧山〜多峯主山〜高麗駅〜巾着田〜高麗峠〜宮沢湖温泉喜楽里別邸
     =(バス)=飯能駅 (約12キロ)
参加者:松浦くん(31組)、川島(旧姓:唯根)さん(34組)、小久保(35組)、
       高沢くん、飛田くん(以上37組)、堀之内くん(39組) 計6名
概要: 今年は9月になってもまだ暑い日が続きました。しかし、そのままずっと暑いままかというわけではなく、秋の気配は着実に訪れていたようです。9月中旬に猛烈な台風が日本を通り過ぎると、今夏の暑さの記憶を彼方へと追いやるように涼しく晴れ渡る秋の青空がやってきました。今回は秋の野を真っ赤に彩る彼岸花(曼珠沙華)の群生で知られる「巾着田(きんちゃくだ)」(埼玉県日高市)に行ってきました。9月の気温が例年よりもかなり高かったため、曼珠沙華の開花が一週間以上遅れてしまい、そのため自主トレ開催時に曼珠沙華があまり咲いていないのではないかという危惧がありました。しかし、幸いにも9月最終週の涼しさで五分咲となりました。飯能在住の私が家を出るとき、庭には白い曼珠沙華が咲いていました。
 今回の自主トレの開催メールを送ったところ、ある方から『山口百恵の歌にもありましたね。ただし、「まんじゅしゃか」と歌っていましたが。』というメールを頂きました。早速調べてみると、1978年12月発売のアルバムに収録されていたようです。この曲の「曼珠沙華」の発音は「サンスクリット語マンジューシャカ、パーリー語マンジューサカの音を写した語である。」とのことで、「まんじゅしゃげ」と発音していなかったので、当時話題になったような記憶があります。
 今回のスタート地点の西武池袋線飯能駅に10時15分に集合し、まず近くのコンビニで昼食を調達しました。お昼は眺望が良い多峯主山(とうのすやま)山頂でお弁当を食べる計画です。多峯主山の標高は271メートルとさほど高くはありませんが、関東平野の裾に位置するため、近くは飯能市内や西武ドーム、そして新宿副都心、遠くはスカイツリーまで見渡せる絶景スポットです。それぞれにお好みのお弁当を持って、10時30分ごろに出発しました。
 まず、飯能市街地(とは言ってもとても小さいですが)の名所である、入間馬車鉄道の飯能停車場跡、「ヤッターマン」実写版や「猿ロック」のロケ地の飯能銀座通り大正看板建築、飯能縄市、飯能諏訪神社世界で唯一の鉄腕アトム銅像を巡りました。そしていよいよ山岳コースです。まず標高197メートルの天覧山を目指します。天覧山は、明治天皇が近衛兵の演習をこの地からご覧になられたことにちなみ、それまで羅漢山と呼ばれていた丘が改称された名前です。飯能駅とは標高差100メートル弱なので最初の足慣らしという位置付けです。天覧山麓の能仁寺境内を過ぎるとかなりの急坂になり、皆さんの歩みがかなり遅くなりました。まだ歩き始めたばかりなので、ゆっくりとしたペースを守りました。途中に十六羅漢が祀られている崖を過ぎると、狭い岩場となり、能仁寺からだいたい20分で天覧山の展望台に到着しました。展望台には既にハイカーやバードウォッチングをしている皆さんが沢山おられ、かなりの混雑状態でした。早速、展望台からの景色を楽しみました。
 ちょっとした休憩をとった後、天覧山北側の階段の急坂を降り、多峯主山へと向かいます。多峯主山に向かう湿地帯の付近には県指定天然記念物「飯能笹」が保護されています。ただし「蝮に注意」の立て看板もありました。無暗に藪には入らないようにしましょう。ここから多峯主山への登りは「見返り坂」と呼ばれ、その昔、源義経の母である常盤御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り、振り返り登ったというのが謂れです。ちなみにこの坂を登り切った先には常盤御前の墓があったという「常盤平」というところもあります。ほぼ一本調子の坂道を登り始めて約一時間、丁度、お昼時に多峯主山山頂に到着しました。山頂では木陰を見つけ、6人並んでお弁当を広げました(写真下左)。松浦くんは購入したペットボトル飲料を既に飲み干し、高沢くんから分けてもらっていました。また、写真でもわかるように飛田くんは「誰かさん」とメールの遣り取りで忙しかったようです。ここで、堀之内くんから「イクラの醤油漬け」、小久保から飯能銘菓「四里餅(しりもち)」が振舞われました。「四里餅」は、「西川材を筏に組んで四里の急流を一気に下るとき、筏乗りはいつもこの餅を食べ(しりもち)もつかず、いかなる難所も一気に乗り切った」という話からこの名がついたということです。これのお蔭で、下り坂で滑って「しりもち」をつく人はでないでしょう。
 お昼ご飯を堪能し、今度は多峯主山から高麗駅まで急な降り坂です。最初は木立の中を抜け、次は西武鉄道が開発した住宅街の中にある良く整備された急坂の歩道を歩きます。自然が豊かですが、この坂道ではここに住むのは大変そう(~_~;)
 間もなく高麗駅に到着しました。駅前広場には、この地に建立されている高麗神社にちなみ、「天下大将軍」「地下女将軍」と表記された、朝鮮半島の道祖神「将軍標(チャングンピョ)」が建てられています。また駅前広場にはテーブルとイスが丁度備えられており、ここで休憩をとることにしました。高麗駅から「巾着田」までは15分ぐらいの距離です。やはり曼珠沙華の季節なのでかなりの人手でした。松浦くんからの差し入れのタコ焼きをみんなでつつき、しばしの休憩後、人の流れに合わせて、巾着田へ向かいました。朝鮮半島で668年に滅亡した高句麗から日本に渡ってきた人たちが716年から開拓したのが始まりということなので、古代から開けた場所のようです。途中には江戸時代の高札場の跡や旱魃時の雨乞いの碑がありました。高札場の近くには「高麗豆腐」で有名なお店もあり、沢山のお客さんで賑わっていました。
 高麗川に架かる橋を渡ると、いよいよ巾着田に入ります。巾着田は高麗川の蛇行で形作られた地形で、遠くから見ると「きんちゃく」に似ていることから巾着田と呼ばれるようになったということです。今回は訪れませんが、近くの日和田山(ひわださん)からは綺麗にきんちゃくの形に見えるようです。曼珠沙華はまだ五分咲きで、一面満開というわけにはいきませんでしたが、早咲きのところでは赤い絨毯のように咲き誇っていました(写真下右:高沢くんは疲れきっているために前屈みになっているわけではありません。いつものポーズです。)。曼珠沙華の鑑賞後、隣接して売店やイベントステージがあるので、20分ぐらいのお土産タイムとして自由行動としました。少し離れたところにあるステージから「涙そうそう」の歌声が聞こえてきたので行ってみると、松浦くんもしっかり聞き入っていました。川島さんは冷凍のブルーベリーを購入し、私たちに分けてくれました。川島家でもブルーベリーを栽培しており、今年の収穫でジャムを作ったということです。
 巾着田から宮沢湖までまた山道を歩きます。まず高麗峠(標高177メートル)への登りです。トレミファ橋という高麗川に架かる沈下橋を渡り、そこから急な登り坂が続きます。これが本日最後の登り坂(?)と皆さんを鼓舞しつつ、何とか峠に到着しました。峠にある休憩所で「次は宮沢湖温泉に向かいます。」と大きな声で話していたら、「私たちも温泉に行きたい。どこにあるか教えてください。」と妙齢の女性たちから声を掛けられたので、宮沢湖温泉喜楽里別邸のパンフレットを差し上げました。一休みした後、私たちも宮沢湖に向かいました。この地点と宮沢湖との間にゴルフ場があり、そこを迂回する形になっています。残念ながら尾根伝いの平らなコースではなく、尾根と谷を何度も繰り返すアップダウンの多い地形です。クロスカントリーの練習場としても利用されているようで、颯爽と追い越して走り去って行く方も見受けられました。またこの付近の地名を「中山」というのですが、これは水戸藩祖徳川頼房公の附家老である中山信正が幼年時代に住んでいた場所ということで水戸との繋がりもあります。
 小さいアップダウンを繰り返して、もう少しで宮沢湖に到着するところで、後方の松浦くんが脱兎のごとく走り出すのが見えました。何事かと携帯電話で事情を聴くと、宮沢湖温泉喜楽里別邸への近道だというのですが、要領を得ません。迷子になっているのかもしれません。そこで他のメンバーを連れて宮沢湖方面の山道から戻り、松浦くんが走って行った宮沢湖の駐車場に移動しました。間もなく駐車場内の道路に出てみると、松浦くんは他の観光客の方に道を尋ねているようでした。私たちは松浦くんに追いつき、その観光客の方にお礼を言い、今度は宮沢湖温泉喜楽里別邸の方に向けて歩きました。このような事情で、今回は宮沢湖畔には行けませんでした。松浦くんは相当に疲れていたのでしょう。宮沢湖温泉で一時間ぐらいゆっくりと温泉で疲れを癒し、館内の「カフェ&バー」で打ち上げを行いました。

 

  多峯主山山頂での昼食                    巾着田の曼珠沙華群生     

【報告:小久保(35組)】

● 浅草編(平成24年12月9日開催)

コース:秋葉原(ガンダムカフェ前)〜湯島聖堂〜神田明神〜「2k540 AKI-OKA ARTISAN」〜
     おかず横丁〜鳥越神社〜【昼食】両国・「安美 両国総本店」〜横十間川〜北十間川〜
     スカイツリー〜吾妻橋〜浅草寺〜浅草演芸ホール〜【忘年会】「江戸もんじゃひょうたん」
     (約10キロ)
参加者:雨澤さん、石井くん、松浦くん(以上31組)、高塩くん、山川くん(32組)、島田くん(33組)、
     川島(旧姓:唯根)さん、阿部くん、汀くん(以上34組)、高沢くん、飛田くん(以上37組)、
     堀米(旧姓:坂本)さん、江戸くん(以上38組)、飯村くん、佐々木くん、堀之内くん(以上39組)、
     小久保(35組)、修 (計18名)
概要:今回は31組・松浦くんによる企画です。テーマは、『今年最後の自主トレで盛り上がろう!「スカイツリーだ! 寄席だ! いや浅草で忘年会だ!」』です。単なるウォーキングだけではなく、娯楽的要素を取り入れて、しかも忘年会も兼ねての企画のため、参加者多数となりました。
 10時30分、晴天の下、まず秋葉原駅電気街口にあるガンダムカフェ前に集合しました。秋葉原駅前広場では南米からの観光客と思しき十数人の一団が記念写真を撮っていました。さすがに世界の「アキバ」です。小久保と修は少し早く集合場所に到着。みんなを待つ間、ガンダムカフェにはきっと高沢くんが陣取っているものと外からお店の中を覗き込みましたが、残念ながら見当たりませんでした。少し定刻を過ぎたころ、石井くんも揃って、全員集合!秋葉原からのウォーキングに参加したのは、石井くん、松浦くん、川島さん、高沢くん、飛田くん、堀米さん、江戸くん、飯村くん、佐々木くん、堀之内くん、小久保と修の合計12名です。
 出発の前にガンダムカフェとAKB48カフェを背景に記念写真(写真下左)を撮りました。そして、いざ出発!浅草とは反対方向となる御茶ノ水駅方向に歩き出しました。松浦くん曰く、この部分は単純に距離を稼ぐためとのことです。程なく、五代将軍徳川綱吉公が儒学の振興を図るため1690年に創建した湯島聖堂に到着しました。初めに1975年に台湾から寄贈された孔子銅像を拝観し、次に孔子廟の正殿「大成殿」に詣でました。途中にある江戸時代から伝わる建造物「入徳門」(1704年建造)は補修工事中で通れず、迂回路を利用するようになっていました。湯島聖堂は江戸時代からの学問の聖地ですので、中学生の修には多少の刺激(?)となったことでしょう。
 次の目的地は「神田明神」です。徳川時代から江戸総鎮守として崇められてきた由緒ある神社です。神田明神には3柱の御祭神が祀られており、一之宮は縁結びの大黒様、二之宮は商売繁盛の恵比寿様、三之宮は勝運の平将門公です。しかしそれ以上に、神田明神は野村胡堂作『銭形平次捕物控』で有名なところで、平次親分の碑もあります。みんなで、寛永通宝に当たっても痛くないだろうとか、投げ銭は幾ら位の価値だったのかとか、俺ならば投げた銭を拾ってから帰るかなとか、下賎な話題で盛り上がりました。
 神田明神から昼食を予定している両国方面に歩を進めるうち、御徒町駅と秋葉原駅の間のガード下でモダンな雰囲気の場所を見つけました。後で調べて分かったのですが、「2k540 AKI-OKA ARTISAN(ニーケーゴーヨンマル アキ・オカアルチザン)」という名称の施設でした。この施設のコンセプトは、「工房とショップがひとつになったスタイル、ここでしか買えない商品、ものづくりの体験が出来るワークショップなど、さまざまな個性あふれるお店が集まるところ」だそうです。時間があれば、じっくり見て行きたいところです。お店廻りに夢中になってしまった堀米さんを危うく置いてきぼりにしてしまうところでした。
 なんとか堀米さんを見つけ出し、蔵前通りから一本入った路地「おかず横丁」という名前の下町らしい商店街を抜けてから鳥越神社に到着しました。まだ12時前ですが、松浦くんは昼食予定のお店に電話を入れて、到着時刻を相談しているようでした。ここから両国駅までは約2キロなので12時30分ごろにはちゃんこ鍋を堪能できるはず。一歩一歩の歩みにも力が入ってきます。蔵前通りを歩いていると人懐っこいワンちゃんが一緒についてきました。こうした触れ合いの後、ちゃんこ屋さんに到着しました。「安美 両国総本店」は伊勢ヶ濱部屋門外不出のちゃんこの味を出してくれるお店だそうです。銘々がお好みの種類の「ちゃんこ定食」を注文して、舌鼓を打ちました。少し長めの昼食休憩を終え、いよいよ川島さんご希望の「逆さスカイツリー」が見られるビューポイントに移動です。
 総武本線に沿って歩き、錦糸町駅を過ぎたところで、横十間川に降り、ここからは川に沿って北に進路をとります。そして北十間川との合流地点にある「十間橋」が目指す川島さんご指定のポイントです。おニューのカメラを携えた写真家・佐々木くんと案内役・松浦くんが、いろいろ撮影場所を検討しているようです。さて、川島さんのお眼鏡にかなう写真は撮れたでしょうか?
 十間橋からは34組・阿部くんが合流し、今度は北十間川に沿ってスカイツリーを目指します。北十間川沿いの歩道は現在整備中の区間もありますが、様々な角度からスカイツリーが見える鑑賞ポイントです。北十間川はスカイツリーの真下を通るため、つい無理しててっぺんを見ようとして、首が痛くなりました。
 この季節は午後3時を過ぎるとあっという間に陽が翳ってしまいます。少し肌寒くなってきたところでスカイツリーとお別れして、吾妻橋を渡り、浅草に到着しました。松浦くんが仲見世浅草寺は自由行動としたので、各自で参拝したり、出店で買い物をしたりして、過ごしました。待合せ場所の浅草寺五重塔で34組・汀くんが合流し、14名で浅草演芸ホールに向かいました。ここでは31組・雨澤さんと33組・島田くんが合流して、総勢16名で2階席に陣取りました。講談や都々逸(どどいつ)などいろいろな演目が披露され、落語では、美人と結婚した旦那は短命、そうでない人と結婚した人は長命になるのだという「長命(短命)」や、知ったかぶりの和尚を笑った「転失気(てんしき)」が演じられ、大きな声で笑って、2時間があっという間に過ぎてしまいました。
 寄席の次は忘年会です。「江戸もんじゃひょうたん」は、「浅草もんじゃ焼きTOP100」第2位の名店です。忘年会には32組・山川くんと高塩くんも参加しました。第6回「復活・歩く会」実行委員長の高塩くんが、「復活・歩く会」当日は前夜の深酒のため早退した39組・堀之内くんへ踏破賞贈呈を行ってくださいました。ウォーキングに寄席、そして宴会と充実した一日になりました。宴会後の満足しきった笑顔の記念写真(写真下右)をご覧ください。企画兼案内係の松浦くん、お疲れ様でした。皆さん、来年もまた楽しい自主トレをいたしましょう!

 

      秋葉原(ガンダムカフェとAKB48カフェ)                  忘年会

【報告:小久保(35組)、撮影:佐々木(39組)】