第14回「復活・歩く会」合同自主トレ総集編
【イベント報告】掲載:令和2年5月28日
●牛久大仏編(令和2年2月1日開催)
コース:牛久駅東口=(バス)=牛久浄苑~牛久自然観察の森~牛久シャトー~牛久駅(打ち上げ)
(約14キロ)
参加:石井くん、雨澤さん(以上31組)、水飼くん(32組)、飯村(稔)くん、
島田くん(以上33組)、汀くん、(34組)、小久保(35組)、高沢くん、
飛田くん(以上37組)、江戸くん、酒井(旧姓武石)さん、海老澤くん(以上38組)、
佐々木くん、堀之内くん(以上39組) 合計14名
酒井さんは打ち上げに不参加、雨澤さんは打ち上げからの参加。
概要: 昨年、2019(令和元)年6月に雨天延期となった自主トレ・牛久大仏参拝を2020(令和2)年2月1日に開催しました。牛久大仏の正式名称は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の「牛久阿弥陀大佛」だそうです。お背丈が120メートルあり、「世界一の高さのブロンズ製仏像」としてギネスブックに登録されているとのことです。ちなみにアメリカの自由の女神像が約46メートル(台座からトーチまで。台座部分を含めても93メートル)ということですので、その高さが分かるでしょう。
当日は牛久駅東口午前10時発「あみプレミアムアウトレット」行きのバスに全員が乗車し、「牛久大仏」バス停の一つ手前、「牛久浄苑」バス停で下車しました。公園墓地「牛久浄苑」の中を散策しながら、だんだんと大仏様に近づきます。下の写真は牛久大仏の入口近くで撮影しました。この写真の背景でも分かるように、当日は雲ひとつない快晴。立春(2月4日)まであと僅かでしたが、まだ冬支度、皆さん、ご覧のようにしっかり着込んでいました。
牛久大仏の足元には、大仏様を間近でよく拝見できるフットマークが標されていました。右の写真は、名カメラマン佐々木くん(39組)が、その位置から参拝者の目線に倣って撮影した苦心作です。
では大仏様の胎内に入りましょう。最初は「光の世界」、次は煩悩を表す暗闇の世界、その次に扉が開かれるとひとすじの光で、それは慈悲を表すとのことです。部屋の奥に進むと、大仏様の建設過程や大きさが分かる足指の原寸大模型、そして世界の有名な像との比較展示がありました。
次はエレベータで仏舎利が安置されている「霊鷲山の間」へ上りました。ここは地上85メートル、四方が展望スペースとなっており、東は霞ヶ浦、南西には東京スカイツリーと富士山、南は関東平野、そして北に土浦市街と筑波山が望めました。大仏様の胸のスリット状に見えるところが展望スペースはあたります。上の写真を見直していただければ、その位置が分かるでしょう。
「霊鷲山の間」からエレベータで3階、「蓮華蔵世界」に下りました。ここは金色の世界で、永代供養の約3,400体の胎内仏が納められていました。次に階段で2階に降りると「知恩報徳の世界」と名付けられた写経空間で、初心者にも簡単に写経ができるよう用紙と硯、筆が用意されています。
汀くん(34組)、酒井さん(38組)、佐々木くん、堀之内くん(39組)、小久保(35組)の5名が写経を行いました。下の一連の写真は島田くん(33組)の撮影です。写経に真剣に取り組んでいる私たちの後ろ姿です。一番簡単な200円の写経セットで、所要時間は約20分でした。誰が上手だったかは、皆さんのご想像にお任せします。それぞれの写経はお焚き上げの箱に丁寧に納めました。
【撮影】島田くん(33組)
その間、他の参加メンバーは大仏様の足元に出られるという売店のおばさんの言葉に従い、お薦めルートを行きましたが、生憎の強風のため大仏様の足元に出られる扉は閉ざされていたということでした。そこで一足先に仲見世でお土産屋さん巡りをしていたということです。そして私たちと仲見世にある「利根」で合流し、お蕎麦やラーメンでお昼ご飯を頂きました。
午後のルートは牛久大仏から牛久駅までの10キロ強を歩く予定です。途中、イーグルポイントゴルフクラブを抜け、牛久自然観察の森から牛久シャトーを経由して、雨澤さん(31組)が待つ牛久駅ビル内の「はなの舞」で打ち上げを行います。
牛久大仏から牛頭座(ごずざ)通り沿いのツムラ茨城工場、キヤノン阿見事業所の大きな建物の前を通り、丸藤シートパイル茨城工場の角を左に折れました。ツムラ茨城工場はロボットアームで漢方薬の抽出を行う最新鋭の建屋が公開されたばかりだそうです。キヤノン阿見事業所は精密金型の生産工場です。そしてシートパイルとは仮土留めのための鉄の板を意味しており、広い敷地にいろんな形の鉄板が置かれていて、それは壮観でした。最近、この付近に圏央道が通ったので工場立地がますます便利になったことでしょう。
丸藤シートパイル茨城工場で曲がった道は、荒川沖の方から流れて来る乙戸川までは下って、その後、イーグルポイントゴルフクラブに向けて上っており、アップダウンのある道でした。参加者にとっては大嫌いな道でしょうね。ちょうどイーグルポイントゴルフクラブの入口に芝生が張られた一角があったので、疲れを癒すため小休止をとりました。堀之内くんによると、その芝生はグリーン補修のための予備の芝生を養生しているところではないかということでした。
元気になってウォーキング再開。現在歩いている道は、イーグルポイントゴルフクラブの中を分断しているのですが、「ゴルフカート」の道は何処を通っているのかという質問が出されました。道路を越えて走るカート専用道があるかなと注意して歩きましたが、それらしいオーバーパスは見られません。さらに歩いて疑問解消、東西のゴルフコース間は地下道で繋がっていました。道はどんどん上っていましたので、その方が簡単に作ることができますね。
さらに歩くと岡見というところで鎌倉街道と斜めに交差し、さらに歩くと県道土浦竜ケ崎線バイパスの広い道に出ました。この道も霞ヶ浦に流れる小野川まで下って、そして「牛久自然観察の森」に向けて上っていくアップダウンのある道でした。「訪問看護ステーションうしく」のところで左折し、少し歩くと「牛久自然観察の森」です。
しかし、ここでよくあるミスコースをしてしまいました。牛久市のコミュニティバスのバス停があるところが「牛久自然観察の森」の入口だったらしいのですが、気が付かずにそのまま歩き続けました。300メートルぐらい歩いて、どうも「牛久自然観察の森」の外周道路を歩いていることに気づき、仕方がなく来た道を戻りました。
今度は正しく入場し、「牛久自然観察の森ネイチャーセンター」というところに入ってみると、蛍の幼虫がカワニナを食べている水槽が展示されていました。ネイチャーセンターの方に伺うと、最新の自然情報やイベント情報を発信しており、また、牛久市周辺で見られる水辺のいきもの展示コーナーでもあるとのこと。私が飯能から来たと伝えると、その方は飯能のお隣りの出身だそうで、地元のことで話が合いました。
ところが、私がセンターの方と地元話をしている最中、みんなが「飛田くん(37組)から着信があった」と話しているのが聞こえました。私も自分の携帯を確かめると着信歴は残っていましたが、着信の鳴動はありませんでした。そこで私から掛け返してみましたが、生憎と電波状況が悪く発信できません。すぐに建物の外に出て、再度発信したところ繋がり、「牛久自然観察の森」の観察舎に堀之内くんといるとのこと。どうやら途中にあった通用門を2人で乗り越えたということのようです。ネイチャーセンターで待っていると伝えて、彼らの到着を暖かい展示室内で待つことにしました。
下の写真がネイチャーセンター内で撮影した集合写真です。いろいろな水生生物が工夫を凝らした水槽で展示されていることが分かるでしょう。この他におもちゃと触れ合える体験コーナーの木育ひろば「うっしっし」があり、親子連れで楽しめる施設になっています。「うっしっし」とは牛久らしいネーミングですね。
「牛久自然観察の森」から牛久駅へは小野川に並行して歩きました。「金乃台カントリークラブ」から「ぶどう園通り」に出るところでちょっとした坂道となっていましたが、皆さん最後の力を振り絞って(ちょっと大げさかな)一気に登り切りました。「ぶどう園通り」を西に歩き、つくば開成高等学校を過ぎて「ふれあい通り」を渡ると間もなくで牛久シャトーです。牛久シャトーでは2009(平成21)年と2016(平成28)年の2回、BBQを行ったことがあります。
この牛久シャトーは1903(明治36)年に神谷傳兵衛(かみやでんべえ)が開設した、日本初の本格的ワイン醸造場です。現存する旧醸造場施設3棟、すなわち「事務室(現:本館)」、「醗酵室(現:神谷傳兵衛記念館)」、「貯蔵庫」が、2008(平成20)年6月に「国の重要文化財」に指定されたとのこと。しかし2011年(平成23)年の東日本大震災で大きな被害を受けました。現在は神谷傳兵衛記念館のみ内部を見ることができますが、レストランやBBQなどの商業施設の営業は取りやめとなっています。しかし2019(令和元)年12月に牛久市と牛久シャトー所有者のオエノンホールディングス株式会社とが長期賃貸契約を結び、牛久市が主体となって保存活用することになりました。桜が綺麗で、しかも、素晴らしい歴史的建物群を生かした自然と調和した憩いの空間になってほしいと思います。
私たちは「神谷傳兵衛記念館」を午後4時ごろまで見学しました。下の写真は国の重要文化財の「本館」前で撮影しました。
ところで牛久シャトーから牛久駅へ行く途中の「シャトー通り」に日時計のモニュメントがあるのをご存知でしょうか?
大子町在住の芸術家、ゲルト・クナッパー氏(ドイツ生まれ)が制作した日時計で、街燈やブロンズ像などと合わせて、1990(平成2)年に「手づくり郷土賞(国土交通大臣表彰)」を受賞しています。2016(平成28)年のBBQのおり、牛久シャトーからの帰り道で夕陽に照らされた景色が綺麗だったので記念撮影したときと同じ形で撮影しようということになり、下の写真を撮影しました。
ここをクリックして写真を見比べてください。
まもなく4時30分です。用事のある酒井さんは牛久駅で帰宅されました。
では、打ち上げ会場の牛久駅西口「はなの舞」へ急ぎましょう。牛久駅東口からエスカレータで上がって、自由通路を西口へ移動。「エスカード牛久」というビルへ直結する歩道橋があるようですが、「はなの舞」へはその手前のあまり目立たない階段を下りて到着しました。
今回は2020年の第14回「復活・歩く会」に向けた最初の自主トレ。実行委員長の飯村くん(33組)による乾杯の発声で打ち上げをスタートしました。会計などの主な役員も決まったということで、10月開催を心待ちにしましょう。
ところで打ち上げから参加予定の雨澤さんがまだ現れません。「はなの舞」は牛久駅ビル1階ですから迷子になるはずはないとは思いながら、ちょっとだけ心配しました。そして10分ぐらい遅れて雨澤さん到着。どうやら「エスカード牛久」のほうへ行ってしまったとのこと。打ち上げ参加人数は13名と大人数で席は手狭ではないかと心配しましたが、そこはわれらが名カメラマン佐々木くんのとても優しい配慮があり、雨澤さんには広~~いスペースが確保されていました。
まあ、この時の佐々木くんの発言で打ち上げは大盛り上がりでしたが、これはないしょ!
下の写真は牛久シャトーの写真が飾られた宴会場。お店の方に撮影してもらいました。かなり風が強い一日でしたが、牛久大仏への参拝から始まって、大仏様からの素晴らしい展望、心静かな写経、「牛久自然観察の森」の水生生物と2名の侵入事件、そして、牛久シャトーで歴史に触れ、賑やかな打ち上げと楽しい一日でした。
【写真】佐々木くん(39組)【報告】小久保(35組)
●真壁ひな祭り編(令和2年3月1日開催)
コース:TXつくば駅9番のりば=(バス)=真壁高上町駐車場~真壁ひな祭り散策~
伊勢屋旅館(昼食)~村井醸造~五所駒瀧神社~煎餅屋千七~真壁城跡~
高上町駐車場=(バス)=つくば駅(打ち上げ) (約12キロ)
参加: 石井くん、雨澤さん(以上31組)、水飼くん(32組)、堂(旧姓飛田)さん(33組)、
川島(旧姓唯根)さん、汀くん(以上34組)、小久保(35組)、飛田くん(37組)、
江戸くん、海老澤くん(以上38組)、 大島くん(39組) 合計11名
堂さんは自家用車で真壁到着のため打ち上げに不参加、雨澤さんは打ち上げからの参加。
概要: 真壁出身の大島くん(39組)案内で2014(平成26)年2月に訪れた真壁を再訪したいという要望が多かったため、3月1日に再び真壁ひな祭りに行ってきました。
前回の訪問レポートでは「路線バスがすべて姿を消してしまった真壁」と記載しましたが、2018(平成30)年10月から桜川市によりコミュニティバスが運行開始され、筑波山口(元筑波鉄道筑波駅)からJR岩瀬駅を経由して岩瀬高校南までを結んでいます。愛称は「ヤマザクラGO」。筑波山口でつくば市コミュニティバス「つくバス」と接続します。コミュニティバスは臨時バスよりもお安く、しかも少し長くバスに乗れるメリットはありますが、今回はひな祭り最後の週末に合わせて運行する臨時バスを利用しました。
真壁行き午前9時発はTXつくば駅9番乗り場からの出発ですが、9番乗り場は臨時バス停なので通常の駅前ロータリーではなく、つくば駅の中央通り側を30メートルぐらい歩いたところにあります。そのため水飼くん(32組)、江戸くん、海老澤くん(以上38組)はバス停をなかなか見つけられず、ようやく全員乗車となったのは、出発直前でした。
TXつくば駅から真壁までの乗車時間は約50分。まず筑波大学の学園東大通りを北に走り、高エネルギー加速器研究機構の前を通過し、桜川を渡って県道「筑西つくば線」へ左折しました。筑波山を西に回り込むように走り、「つくば霞ヶ浦りんりんロード」(筑波鉄道跡を利用したサイクリングロード)を跨ぐと真壁の街並みが見えてきました。水飼くんは小学生の頃にお父様の勤めの関係で真壁在住、中学生の時に水戸に転居ということなので、大島くんと同郷の真壁出身者です。
真壁は旧石器時代からの遺跡が発掘されているように歴史が古く、真壁陣屋跡に建設された真壁伝承館の資料によると、縄文・弥生時代を経て古墳時代の5世紀後半、清寧天皇の御名代として白髪部(しらがべ)が置かれ、奈良時代に常陸国の郡として白壁(しらかべ)郡となり、785(延暦4)年に光仁天皇の諱である「白壁」と同じであることを避けるため「真壁」に変更されたということです。そして平安時代末期に平長幹(たけもと)が真壁の郡司となり、真壁を姓とし(真壁氏の祖)、以降、1602(慶長7)年に秋田に移封されるまで、いくつかの没落と復興を繰り返しつつ、真壁を拠点に活動していたということです。真壁氏の移封後、真壁は笠間藩領となったのですが、物産が集散する在郷町として、特に木綿販売の拠点となり、明治以降は製糸業、さらに石材業が興隆し、現在に至っているとのこと。下左の写真は真壁伝承館に展示されていた真壁氏の旗印、猪です。また、下右の写真は真壁伝承館に展示されていた江戸時代の街並み(約500戸)の再現模型です。
午前10時前に高上駐車場に到着した私たちは、堂さん(33組)が到着するまで街並み散策をすることにしました。真壁の街中は車両規制となっており、高上町から東に旧真壁郵便局へ向かって歩きました。店々には昭和のお雛様や吊るし雛が飾られていました。残念ながらコロナウィルスの影響のため大賑わいというわけではありません。いくばくかの方々がそぞろ歩くという感じでした。真壁の主要産業の石材の店では石製のお雛様が展示されていました。その奥にはパラソルが建てられる構造の石でできたBBQテーブルが置かれていました。珍しそうに見ているとお店の方が「日本国何処でもお持ちします」とユーモアたっぷりに製品説明をしてくれましたが、今回は遠慮させていただきました。
次に旧真壁郵便局に入りました。ここは総合案内所になっているほか、2階では絵画展示が行われていました。旧真壁郵便局を出て、御陣屋前通りを北に歩くと、「仲町鍵の辻」の手前に「川島」という屋号のお店が向かい合ってありました。立派な見世蔵と土蔵なので真壁の名士のものなのでしょう。ただし同じ苗字ですが川島さん(34組)とは姻戚関係ではありません。「川島書店」の見世蔵には「めぐすり」と書かれた大きな古い看板や山岡鉄舟書の店名額が飾られていました。現在は書店ですが、江戸から明治にかけては生薬問屋だったそうです。
先ほどの辻から仲町の方に歩いていると、地元のおじさんがご親切に声をかけてこられ、「中村家に見事なお雛様が飾られている」と勧誘され、案内してもらいついて行ったのですが、生憎と「本日の展示はありません」と記されており、残念ながらお雛様を見ることはできませんでした。案内してくれたおじさんも恐縮そうでした。
新宿の鍵の辻の先を右に折れ、さらに仲町台の宿の鍵の辻も右に曲がると、仲町に入ります。すると、ここで学生服を作ったことがあると話す声がメンバーの中から聞こえてきました。その「ニューワカマツ」というお店のすぐ先を左に曲がりました。大和町というところを抜け、「神武天皇遥拝殿」に到着しました。隣が「真壁伝承館」です。真壁伝承館で堂さんの到着を待つ間、小休憩をとりました。みんなのお目当ては伝承館向かいにある宮本精肉店の1つ50円の「むかしのコロッケ」です。そうそう、5年前も頬張っていましたね。
路上でコロッケを食べていると、堂さんが小走りに来るのが見えました。道は迷わなかったようです。堂さんが揃い、全員集合となりました。まずは真壁伝承館の歴史資料館エントランスで記念写真を撮りました。
では、少し早めですが、お昼ご飯にしましょう。大島くんが予約してくれた「伊勢屋旅館」は「真壁伝承館」から下宿十字路を右に曲がってすぐです。「伊勢屋旅館」は明治中期に料亭「勢州楼」として建てられ、2000(平成12)年に国の登録文化財に登録されたそうです。お店に入ると座敷飾りが眼に止まりました。また、右側に可愛い女の子の写真が飾られていました。お店の方に伺うと大女将のお孫さんだそうです。そして2階テーブル席に案内され、「弥生の風」(色鮮やかなちらし寿司、真壁の郷土料理「すいとん」、みそおでん等のセット)を美味しくいただきました。
大島くんの計画では午後はウォーキングとのこと、しっかり食べたので大丈夫でしょう。
先ほどの下宿十字路を直進すると、老舗の「村井醸造」がありました。6年前にも訪問していますので、同じ構図で写真を撮りましょうと堂さんと川島さんの写真を撮りました。ひな飾りの上段は同じですが、「公明」という酒瓶はなくなっていました。後で気づきましたが二人の座る位置も異なっていたようですが、6年前と大きな違いはなさそうです。
村井醸造には石蔵があり、そこには真壁藍保存会による「ちりめん雛」やあじさい工房・田中アルバによる「陶雛」が展示されていました。石蔵に入って見学していると、語り部の方が丁寧に震災時の被害状況や復興の話をしてくれました。話を聞き終わると「奥に無料のコーヒーがありますのでどうぞ」と云われて入って行くと、既に江戸くんや石井くん(31組)たちがコーヒーを頂き、寛いでいました。大きなテーブルの席に座り、淹れたてのコーヒーをゆっくりと味わいました。
村井醸造から上宿通りを西に歩くと駅前通りがあり、そして旧真壁駅に着きました。旧真壁駅は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」の真壁休憩所としてトイレや休憩設備が整備されているだけでなく、プラットフォームも昔の佇まいのままに残されています。そこでプラットフォームに出て、旧筑波鉄道のディーゼルカーがまもなく到着するのを待っているかのように一列に並んで記念写真を撮りました。
次は筑波山から加波山へ連なる峰々の麓に祀られている五所駒瀧(ごしょこまがたき)神社に参ります。神社の由緒は、初代真壁城主・真壁長幹の一族、桜井太郎良幹が鹿島神宮から祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)の分霊を勧請し社殿を造営したとのこと。この駒瀧大明神に村内の4社を明治時代に合祀し五所駒瀧神社としたという歴史が深い神社です。五所駒瀧神社の祭事は、1986(昭和61)年に文化庁より「国選択無形民俗文化財」に指定されたとのことです。下の写真は1704(宝永元)年に再建された社殿の前で撮影しました。
五所駒瀧神社は神社のなかに水路があり、木々が鬱蒼としていました。その林の中を散策しました。
この付近の筑波山から加波山へ連なる峰々にはハンググライダーやパラグライダーが飛び立つ所が設けられており、この日、晴天の上空でカラフルな機体が風をとらえてゆっくりと旋回しているさまを手に取るように見ることができました。
次は麦畑の中のウォーキングです。まだ芽が出たばかりなので、遠目には緑の絨毯のようです。しばらく眺めて歩き、畑の中にあった「桜井農村公園」で休憩をとりました。
下の写真は加波山を背景に麦畑の前で撮影しました。海老澤くんと飛田くん(37組)の間に見える山が加波山です。
さらに麦畑を歩き続けて、鹿島神社の隣にある「煎餅屋仙七真壁店」に到着しました。前回もここでお土産を購入しました。このお煎餅屋さんは「ぬれやき煎」が有名で、今回も、銘々が沢山のお土産を購入していました。お煎餅屋さんからも麦畑の中を歩きました。前回、大島くんが帽子を飛ばされたところに差し掛かると、あの帽子はどうなったのだろうと懐かしむ声が聞こえました。
県道つくば益子線に出れば、堂さんが車を停めた真壁体育館まで1キロちょっとです。頑張りましょう。まだ堂さんは真壁の街中を散策していないので、大島くんが特別に案内するということになりました。そこで真壁体育館のところで、真壁城跡散策班とひな祭り散策班に分かれて行動し、午後3時30分発のTXつくば駅行きバス出発所(高上駐車場)で合流することになりました。
真壁体育館のところには、中世の真壁城の本丸や二の丸の跡があり、発掘で明らかになった堀や城塁を再現する工事が行われていました。私たちが訪れたときには城塁として再現した法面を整備する工事の最中でした。真壁藩は、1622(元和8)年に浅野長重による笠間藩が成立すると、廃藩となりました。その後は本丸から西に800メートル離れた真壁陣屋(現真壁伝承館)が中心となり、江戸から明治にかけて発展したとのことです。
私たちは真壁城二の丸跡の仮設道が設けられているところまで歩いて、出発時刻に遅れないように時間に気を付けながら真壁の街中を歩き、大島くんたちと合流しました。TXつくば駅へ行くバスは定刻に出発し、今朝通った道をスムーズに走りました。バスの中では、朝起きるのが早かったためでしょう、皆さん、寝ているようでした。そしてバスは定刻前に今朝乗車した9番臨時乗り場に到着しました。
到着後すぐの午後4時30分から「BiViつくば」3階のミライザカつくば駅前店で打ち上げを行いました。打ち上げには下の写真のように(石井くんに隠れ気味ですが)雨澤さんが参加しました。打ち上げでは「つくば霞ヶ浦りんりんロード」が話題となり、自転車での自主トレもいいねということで話が盛り上がりました。
今回は6年ぶりに訪れた真壁でひな祭りと真壁城跡散策を楽しみました。水飼くんと大島くんの昔ばなしも面白かったです。街中に登録有形文化財が随所にある真壁は歴史ある街でした。また訪問しましょう。
【写真・報告】小久保(35組)
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